忠臣蔵ファンはみても楽しいかも。
浄土宗宝林山運昌院 泉澤寺 / / / .
ここ泉澤寺は、戦国武将世田谷吉良氏が、世田谷区に元々あった寺を、ここ小杉に、開基したお寺です、世田谷区にあった寺は、何度も、焼失にあいここに、移したとのこととても良い場所でした。
自家用車来訪推奨。
公共交通機関利用可能。
寺社仏閣。
駐車場有。
化粧室有。
世田谷領主の吉良氏に関連する由緒あるお寺。
二ヶ領用水わきにあり、境内はきれいで落ち着いた感じがします。
浄土宗の寺院。
宝林山運昌院泉澤寺。
御本尊は阿弥陀如来像。
千歳烏山には戦後寺町が形成されましたが、ここは寺町が形成される以前に千歳烏山から移転されています。
ご住職がなくなり、すぐあとに跡取りの息子さんも山に行ったきり戻らず、今は奥様方住職のあとを次ぐ覚悟を決めたみたい頑張ってほしい苦しいことばかりではないからきっといいことがあるはずです。
忠臣蔵ファンはみても楽しいかも。
お墓が広い静かなお寺。
泉澤寺は、現在の世田谷方面に勢力を有した戦国時代の豪族・吉良氏の菩提所として、1491年に多摩郡烏山(世田谷区烏山)に創建された浄土宗の寺院です。
5世心参上人の代に諸堂を焼失したため、1550年に吉良頼康が現在の上小田中の地に場所を移し再興しました。
泉澤寺文書によれば、再興にあたり吉良氏は、同寺の寺領を安堵し、弥陀三尊を寄進し、さらに門前町を指定して居住者に諸税を免除し、市場の繁栄を図るなどその保護につとめました。
上小田中よりも少し後になって、世田谷にも同様の市ができました。
現在では、泉沢寺の市は「夏の泉沢寺お施餓鬼」、世田谷の市は「冬の世田谷ボロ市」として名残りが残っています。
本堂(市重要歴史記念物)は1778年の再建で、正面5間、側面6間、入母屋造銅板葺造りです。
将軍綱吉供養のため造立された、多聞天、広目天、梵天、帝釈天の木造四天立像(市重要歴史記念物)があります。
閑静な住宅街の中にあって物静かで良かったです♪仏閣,本殿お地蔵さんも良かったです(#^.^#)
現在の世田谷方面に勢力を有した戦国時代の豪族・吉良氏の菩提所として、延徳3年(1491)に多摩郡烏山(現在の世田谷区烏山)に創建された浄土宗の寺院。
元は東京都世田谷区の烏山にあったお寺が焼失して、1550年に現在の場所へ吉良頼康氏が再興したそうです。
徳川政権下で、この一帯に小杉御殿と呼ばれる陣屋ができ、西明寺までjはわずか500メートル。
そのような位置関係から徳川将軍家との関係性も深まってゆき、早くからこの寺は要塞化し水堀もあったそうです。
目の前が中原街道で、直進すると江戸城へつながっています。
今現在の泉沢寺は小さなお寺で、観光客で賑わうようなスポットではありませんが、由緒あるお寺なのです。
この寺の門前で行われていた市は世田谷のボロ市と並んで有名だったそうです。
落ち着きます。
名前 |
浄土宗宝林山運昌院 泉澤寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
044-722-2016 |
住所 |
〒211-0053 神奈川県川崎市中原区上小田中7丁目20−5 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
泉沢寺(せんたくじ)は、足利幕府の重臣である吉良氏の菩提寺です。
元々は、東京都世田谷区の千歳烏山にありましたが、烏山の泉沢寺が焼失したため、この地に移されたそうです。
移したとは云え、近年ではなく、1550年に現在の場所へ、吉良頼康氏が再興したという歴史があります。
また、目の前が中原街道で、そのまま行くと江戸城と軍事的な要所にあったため、この寺は水堀もあり要塞のようであったそうです。
ちょっと物騒な来歴があるお寺ですが、賑やかな門前市があったそうで、今の静かな風情からは想像できない景色を楽しめます。