古墳が神社になっています、珍しい場所です。
神聖な感じでした。
奥の宮八社巡りで夜は入れません。
七福・稲荷・不動・万地蔵・恋の宮+濡髪大明神・三宝荒神・水・薬師の八箇所です。
スタンプがありますので、御守り売場の所で用紙をもらってください。
ふらっと行きます😊お気に入り。
洞窟にまつられた神社ですが、遺跡でもあるという宮地嶽神社のルーツともいえる場所です。
近隣には動物園?もあって、子連れでも遊べます。
【201901】宮地嶽神社の裏にこんな立派な奥の院があったなんて知りませんでした。
かれこれ20年近くお参りに来ているのですが、今年初めて奥の院をお参りしました。
(お恥ずかしい限りです)奥の院は8社参りができるのですが、それほど広くないため、宮地嶽神社をお参りした帰りに是非寄ってみてください。
「不動神社」をはじめ、七福神社、大塚稲荷神社など、見所がたくさんあります。
なお、宮地山と在自山の山頂へと続く「宮地嶽自然歩道」のスタート地点もあります。
不動明王尊の祠になっております。
パワーが貰えそうな場所です。
朝のお祈りを宮司様が太鼓を叩いて致します。
神や仏が降りてきそうな雰囲気です。
私が子供の頃(40年ほど前)は古墳の石室に自由に出入りできていました。
ここの龍の形をしたお清めの水のところから奥に入るとお不動様が祀られている場所があり、そこにももう一基古墳の石室があります。
宮地嶽神社は神功皇后によって建てられたと伝えられています。
時代でいうと古墳時代前期から中期、西暦でいうと300~400年頃のことと考えられます。
この古墳は宮地嶽神社の奥にただ一基だけある規模の大きなお墓で、時代は古墳時代末期、西暦400~500年頃だそうです。
おそらくお宮にとって重要な人物のもので、皇后の家臣の子孫のものである可能性があります。
また日本に馬がやってきたのが西暦500年頃とされており、日本に来たばかりの馬に乗った人物と言えるかもしれません。
現在の神社と記紀、言い伝え、考古資料が交差した歴史の証拠、奇跡的な古墳といえます。
また1741年に古墳の扉が僧によって開かれ、その後不動明王のお堂として使われてきたのは歴史の悪戯といえましょうか。
宮地嶽神社 の 裏 には、幾つかの、お宮が あります。
参道 の 坂道 を のぼって 行くと、奥の宮不動神社 が 有ります。
ここの お宮 は 古墳 です。
御祭神 は 、不動明王 古墳の奥にまつられて います。
古墳の 前に 本殿 が あり。
そこでも お参り 出来ます。
が。
この お宮 では、お参りは、本殿 の 内 にある 拝殿 の 中 でも、できます。
御祭神 の 不動明王 に より ちかずき。
お参り が できます。
ご祈祷も この 拝殿 の 中で行われます。
私の だいじな 場所 のひとつです。
古墳が神社になっています、珍しい場所です。
胸形徳善(この地域の大首長、天武天皇の妃である尼子娘の父)の墓とされる。
七世紀初頭に築造されている。
天武天皇の親戚であるだけでなく海運を業として全盛を築いているようだ。
埋葬品(数万点もあるとか)の殆どが国宝に指定されているとのことでどれだけの力を持っていたのか。
径34m、石室長22mとあり、玄室が中心に無いことが判るから径の長さは間違っているのではないか。
我輩は50年前中学生の時林間学校で初めて古墳に接したのがここだった。
また、石室に入った時の記憶はいまだに生々しいのである。
今では簡単に入ることが出来ないのが残念だがな。
名前 |
宮地嶽古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.5 |
あまり奥までは見えません。