社殿に向かって鳥居の右手に残された石碑によれば、この地は暴れ川として知られた筑後川に近く、洪水が起こると田は海のようになっていたという。
そこで寛政12年(1800)春、この地の里正を勤めていた佐田成種が中心となって、村の菅公廟に盛り土をして「邑民逃水之処」つまり洪水時の村民避難所にしたという。
現在も道路面から1.5mほどの高まりの上に神社があり、周囲は石垣で固められている。
先人の自然の猛威に対する苦労と知恵が偲ばれる場所。
因みに、当神社に隣接する下弓削公民館は、市が発行する防災安全マップにも避難所として記載されています。
名前 |
下弓削天満神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.3 |
大きな茅の輪?が鳥居につけられていた。