平治の乱が勃発しました。
歴史的な場所はNHKの向かい側。
お昼ごはんは東へ少し先に「soto」がオススメ。
オシャレな建物です。
烏丸綾小路の交差点を西に入った南側の新風館の敷地内の生垣に「三条東殿遺址」あったことを示す石碑と説明書が有ります。
現在は、この石碑と説明書があるのみです。
石碑は、重厚な黒い石に「三条東殿遺址」と刻まれており、他と違った感じがします。
三条烏丸交差点付近には、三条東殿遺址の他に西側には「三条西殿遺址」「三条烏丸遺跡」・南側には「三条南殿遺址」の石碑や案内板が有ります。
このあたりが、平安時代には、天皇・皇族・貴族の高級住宅街であった所になる。
「三条東殿遺址」は、院政政治における政治的・文化的な中心地のひとつであったと考えられる。
平安時代末期この付近に後白河上皇の院御所三条東殿(三条烏丸殿)があったとされる。
名前 |
三條東殿遺址 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na035.html |
評価 |
3.8 |
平治元年(1159年)12月9日の夜、源義朝は軍勢500余をもって三條東殿を襲撃、後白河法皇をここから連れさって幽閉し、平治の乱が勃発しました。