名前 |
善龍寺の内藤塚 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
こちらには、武田信玄旗下の四天王のひとり、内藤昌豊が眠っています。
昌豊は父の代から武田家に仕えていましたが、信玄の父である信虎を諌めたため、父子とも追放となりました。
このとき、昌豊の兄は、信虎みずから手討ちにしたといいます。
その後、信玄が当主になると呼び戻され、勝頼の代まで献身的に仕えました。
長篠の戦いでは、柵の向こうで鉄砲隊が待ち構える本多忠勝隊に騎馬で突進。
まわりの味方が次々に倒れるなか、三番目の柵まで踏み倒しましたが、それ以上進むも退くもならず、もはやこれまでと家康の本陣へ向かい、わずかに残った供回りの者とともに、決死の突撃を試みましたが、全身に矢を浴びて、壮烈な最後を遂げたといいます。
そのとき、子の昌月は上州の領地を守っており、父の遺骸を当地に埋葬しました。
伊勢崎市には馬場信形の子孫の方も多く、下仁田でも勝頼の嫡男を守って落ちのびた家臣の子孫だという方にお会いしました。
群馬県内には、武田家ゆかりの方々が、沢山居られるようですね(*^^*)