民芸運動の推進に尽力された方です。
川崎にゆかりのある芸術家の中に、第1回人間国宝となった陶芸家、濱田庄司がいます。
焼き物の美を、何よりも使い道と結びつけ、温かみのある厚手の器に太い筆などで絵を描いたり、柄杓でうわぐすりを流しかけるなどして生み出された、おおらかな作風は、暮しの中の器、益子焼の伝統となっています。
1955年(昭和30年)2月15日には第1回の重要無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)に認定され、1964年(昭和39年)に紫綬褒章を、1968年(昭和43年)には文化勲章を受章しました。
1978年(昭和53年)、83歳に益子にて人生の幕を閉じました。
その後は溝口の宗隆寺で永遠の眠りについています。
生涯戸籍を高津区から移さなかったという濱田庄司ゆかりの碑が、川崎市にいくつもあります。
溝口駅近く、第一ホテル前(庄司が生まれた母方の実家、旧太田医院跡地)にある生誕記念碑があります。
溝の口駅の南口から徒歩で数分の場所にある。
日本で最初の人間国宝となった益子焼きの陶芸家です。
作風は、焼き物の美を、暮しの中での使い勝手と結びつけたと云われている。
作品が大山街道ふるさと館に展示されています。
ここに彼の 生まれた家があったとは 普通は 知らない。
名前 |
「陶芸家 濱田庄司」生誕の地(太田医院跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
日本で最初の人間国宝になられた方でもあり、柳宗悦の没後は日本民藝館の第2代館長に就任される等、民芸運動の推進に尽力された方です。
とは言え、川崎ではなく、沖縄・壺屋窯などで学び、益子焼の産地の栃木県益子町で作陶をされています。
また、亡くなったのは益子町ですが、お墓は近くの川崎市の宗隆寺にあります。