お宮参りがはじまるというのに目の前のイチョウの樹が...
宮城県加美郡色麻町にあります伊達神社⛩に行って来ました✨花手水がありました✨龍さんの口からお水が出ています✨門をくぐって階段を登ります✨伊達神社と書いた鳥居をくぐって右手に大きな御神木があります✨神社の前には狛犬さんがいました✨天気が良く気持ち良く参拝させていただきました✨素敵な神社ですね✨ありがとうございました✨#加美郡色麻町#伊達神社#花手水#大きな御神木#赤い鳥居#神社好きな人と繋がりたい。
鳴子温泉に行った帰りに参拝させて頂き、車は鳥居をくぐって駐車でした。
鳥居をくぐっていいのか分からず周辺をぐるぐる回った最終手段として電話で聞いたところ大変親切に教えて頂きました。
本殿と御神木?は階段を登った場所にあります。
厳かな雰囲気だと思いました。
御朱印を貰い忘れてしまいました。
昨年引っ越して来ました。
銀杏の木がものすごくでかく銀杏を拾って茶碗蒸しをして食べました。
延暦年間(782年-806年)坂上田村麻呂の東征の折に勧請されたという。
一説には、この地にやってきた播磨国飾磨郡付近に住んでいた人々が、飾磨郡伊達の射楯兵主神社から射楯大神(五十孟神)を勧請したともいう。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「陸奥国色麻郡 伊達神社 名神大」と記載され、名神大社に列した。
伊達氏が陸奥守となると伊達氏に憚り、社名を祭神のうちの一柱である経津主神を祀る香取神宮にちなみ「香取社」に変えたが、明治5年になり「伊達神社」へと名を戻した。
明治38年(1905年)から明治41年(1908年)にかけて、近隣の神社であった熊野神社、塩竈神社、田村神社、今熊野神社、八坂神社、小河神社、田中神社を合祀した。
それらの御祭神は、岐神・興玉命・国之底立命・倉稲魂命・家都御子神・熊野夫須美神・早玉雄神・櫛稲田比売命。
主祭神:五十孟神、経津主神、武甕槌神合祀神:大日靈命、火産霊神。
お宮参りがはじまるというのに目の前のイチョウの樹が800年であることを答えてくれました。
ありがとつございました😊
御朱印は行っていないそうです。
お社は凄く雰囲気があって素敵でした。
息子が初めて一人で社殿に手を合わせてお辞儀できました。
昔、良く遊びました。
伊達(いだて)神社と読みます。
詳しい創祀年代は明らかではありませんが、延暦年間(782-806)に坂上田村麻呂が東征した際に勧請されたと言う説もある古社です。
古墳時代中期に築造された御山古墳と呼ばれる円墳の上に鎮座しています。
伊達氏が国守となると伊達の2字を憚り、社名を香取社に変えたのですが、明治5年に伊達神社に再び名前を戻し現在に至っています。
香取社の香取は祭神の中の一柱で、経津主神を祀る香取神宮にちなんでのことだそうです。
興味深い神社です。
名前 |
延喜式内・伊達神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0229-65-2197 |
住所 |
|
関連サイト |
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020407 |
評価 |
4.3 |
「伊達神社」加美郡を代表する川「鳴瀬川」。
この流れを挟んで右岸の色麻町側には「伊達神社」、加美町四日市場には「鹿島神社」、下新田には宇岐須神社があります。
この3つの神社は今から1220年前の平安時代、坂上田村麻呂が奥州に発向の際、東北の民衆を慰撫する目的で建立したとの伝説があります。
さて、色麻町の伊達神社は、「かんどりさま」とも呼ばれています。
かんどりとは、すなわち香取神社のことで、今の千葉県、東京国際空港の近くにある「香取神宮」と同じもの。
また、茨城県には常陸国一宮とされている「鹿島神宮」があり、さらには、その近くに息栖神社が置かれています。
この3つの神社を東国3社と呼んで、古くから信仰を集めていました。
この3つの神社はセットで建立されたと考えられ、千葉・茨城の3つの神社を地図の上で結ぶと、利根川を挟んで三角形になります。
一方、伊達神社、鹿島神社、宇岐須神社もセットで建立されたと考えられ、鳴瀬川を挟んで三角形になるそうです。
このことから、京都にあった中央政府が関東・東北を平定していく過程で、まず支配の象徴として関東に東国三社を鎮座、その後、東北の加美郡にも三社を勧請したのではないかと考えられるのです。