内閣総理大臣大平正芳の祖先大平国祐【おおひらくにす...
内閣総理大臣大平正芳の祖先大平国祐【おおひらくにすけ(1538~1603)】獅子の鼻城主。
大平国雅の嫡男。
官途は伊賀守。
室は香川元景の娘(妙通姫)。
1562年、土佐国吾川郡弘岡城主であった、大平国祐は長宗我部元親に破れ、天霧城主香川家を頼り落延びた。
武勇に優れた人物であったため国境を任された。
1578年、長宗我部元親の兵が攻め入り、り籠城し奮戦するも落城した。
大平国祐は敵中を突破し落延びた。
1585年、羽柴秀吉の「四国討伐」後、仙石秀久に仕えた。
1586年「九州討伐」で、仙石秀久に従うも大敗し嫡男大平国常が討死にした🉐大平家と長曽我部家の関係大会社の会長が国主の河内源氏の足利家分家の細川家大会社の重役筆頭が守護大名から戦国大名に転身した平将門を討ち取った藤原秀郷の子孫で鎌倉幕府初代将軍河内源氏のトップで源頼朝の幼なじみで成人後は、ボデイガードとして従った近藤国平の四男の近藤国盛を祖先に持つ武家の名門国盛は、静岡県(駿河の国の大平村で大平姓を名乗る)のちに合戦で手柄をあげた大平家は、四国全土に根をおろし細川家の守護をしたさらに時は、進み大平国祐や国祐の子孫の大平総理大臣に繋がる🌠🌠🌠細川氏(ほそかわし)は、本姓は源氏、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。
清和源氏の名門足利氏の支流。
名字は鎌倉時代に三河国額田郡細川郷(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)に土着したことに由来するの重臣。
土佐漆喰の素晴らしい建物 展示も素晴らしいです 住職さんがおられると大変親切に解説してくださるそうです。
住職さんに説明してもらうと、趣も変わります。
古代蓮も7月には、咲きます。
不安な気持ちで山道を進む。
確かにこの辺りだと思う地点には定福寺というお寺があるだけだった。
仕方なく、小さなスペースに車を止めて定福寺の境内へ入ってみる。
ありました!豊永郷民俗資料館。
公立ではありません。
NPO法人による保持のようです。
「御用の方はチャイムを鳴らしてください」と書かれている。
でも、朝の八時。
無理かなと思いながら、ピンポン。
すると、住職と思われる方が出てこられて、「ようこそようこそ」と歓迎される。
入館すると、心を動かさかれた資料館だった。
お話によると、2~3代前のご住職が、村から出ていく人々から農機具等を頂き、山の暮らしを保存する資料館だった。
行政との関係で、色々とトラブルが合ったようだが、見事に整理されて保存されていた。
素晴らしいコレクションの数々でした。
さて、この資料から僕らは何を学び取ればいいのだろうか。
歴史とどう向き合ったらいいのか。
僕にはまだ、整理がついてません。
微笑む六地蔵も拝見させていただきました。
私も、民俗資料館には1ヶ月ぐらい お手伝いに行きました。
びっくりする位、昔からの貴重なものがあります。
一度 見に行って下さい。
なつかしい道具類がたくさんあります。
先々では貴重なものとなるでしょう。
実際に使って体験できるようになれば良いですね(^-^)
名前 |
豊永郷民俗資料館 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0887-74-0305 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 8:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.6 |
幹線道路から少し入った場所の寺にある。
素晴らしい収集品が !! 農業品が充実している。