平安京左京四条三坊丸町にあった御所の跡です。
平安京左京四条三坊丸町にあった御所の跡です。
昭和62年発掘調査が行なわれ、平安時代後期の遣水跡・三条大路南側溝・建物跡が検出された。
碑と案内板が㈱千總の前に有ります。
名前 |
三条烏丸御所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na028.html |
評価 |
4.0 |
平安時代後期に建てられた藤原氏の邸宅跡。
三条桟敷殿、三条南殿とも呼ばれており、元々は堀河天皇や鳥羽天皇の乳母であった藤原光子(ふじわらみつこ)の邸宅として建てられ、その子の、後に左大臣にまで昇りつめた藤原実能(ふじわらさねよし)に受け継がれた後、実能により鳥羽法皇に献上され御所となりました。
昭和62年度に財団法人京都市埋蔵文化研究所が株式会社千總の委託を受けて発掘調査を実施。
この調査によって、平安時代に造られた島を伴う玉石敷の遺水(庭園などに水を導き入れるための設備)と大小の景石で構成されている庭園跡の一部及び建物の柱跡などが検出されました。
これらの遺構は一町規模の「寝殿造」による邸宅の一角をなすものと見られ、各遺構からは瓦類や土師器、須恵器の他に釉薬を施した緑釉陶器、灰釉陶器などが多数出土しています。
中には中国から輸入された青磁・白磁などの、上級貴族の所有を思わせるものも含まれていたそうです。