引田城跡で歴史の息吹を体感。
引田城跡の特徴
引田城は続日本百名城に指定されており、歴史的価値が高い史跡です。
引田城跡は標高82mの城山の上にあり、訪れる人々に美しい海の景色を提供しています。
石垣がところどころ残る引田城跡は、中世の戦国時代を感じられる重要な遺構です。
引田城は続日本百名城に指定されています。
標高82mの城山の山頂に築かれた戦国期の城です。
元々は寒川氏の居城だったと思われます。
1600年頃には廃城になったと考えられています。
標高は低いですが城域は広く登山口からひと回りすると約1時間は必要だと思います。
登山口にはパンフレットと杖が用意されています。
傾斜は緩いので初心者にもおすすめできる山城です。
特徴的なのは引田の街と播磨灘を見渡せる位置に岬状に突き出た城山の山頂に建てられた城であるため海と港が一望できるところです。
かつてはここから船の出入りなどを見張っていたのではないかと考えられています。
現在では大変景色の良い山城となっています。
海に面してここまで海を一望できる山城は全国的にもあまりないと思います。
豊臣秀吉の古くからの家臣の仙石秀久が入城の後に讃岐一国を与えられた生駒親正が入城しますが一国一城令により廃城となりました。
初めてきましたがかなり岩肌が露出していたりと雨の日や雨上がりは行かないほうがいいと思います。
滑落するおそれがあるので。
本丸跡には石垣が残っており北の二の丸も石垣が残っているとの事でしたが石垣が崩れるおそれがあるのとの事でシートがかけられていました。
続日本100名城のスタンプは、引田公民館と讃州井筒屋敷設置されています。
先ず先ず整備はされているものの根本的に足元が悪く、岩肌を削って階段状になっていたりもして、スニーかーでの登城はお勧めできません、トレッキングシューズが良いと思われます。
道幅も狭くなっていて、シダが茂っているので間違えて踏む外しそうな所もありました。
本丸を過ぎて、引田鼻灯台を目指す間もアップダウンもあり、そこそこ距離もありました。
東の丸は行かなくて、ゆっくり周って1時間超でした。
生駒氏の山城かつ実質的には海城に近い。
山道を登ったりおりたりしながらぐるっと一周できる。
本丸近くの算木積みと北二の丸の下の石垣(野面積み)が見事です。
歴史漫画「センゴク」主人公の仙石秀久が一時ここにいて、長曾我部と闘い敗れた。
それだけで感動する。
登城口から山道を登ること15分で本丸に到着。
本丸手前に石垣があるので見逃さないように。
山道から途中突然視界が開け、引田の街が見渡せる。
素晴らしい景色。
続100名城のスタンプと御城印は、讃州井筒屋敷で。
28台停められる駐車場も登城口前にある。
本丸近くに大きなスズメバチがいたので注意。
こちらは海沿い近くにある山城です。
城郭跡を一周コースで駐車場(登山口にあり無料です)からで約60分といった所でした。
景色は絶景でしたよ。
後は山城ファンの方々にはいいお城跡かと思いました。
いった箇所は写真にあげときますね。
続100名城に選ばれているお城跡です。
続日本100名城No.177阿波·讃岐の国境を守備した山城です。
永正年間(1504~21)には、大内氏の家臣寒川氏に属する四宮氏が城主となりました。
その後、阿波の三好氏が城を奪って家臣の矢野氏に与え、天正11年(1583)には一時、豊臣秀吉配下の仙石秀久が入りました。
天正15年(1587)に讃岐を得た生駒親正が入城し、ほどなく聖通寺城に本拠を移しますが、引田城は国境守備の城として重視されました。
城山のほぼ全域を取り込み、谷を挟むU字状の二本の尾根上に曲輪を展開していました。
北二の丸西面には野面積の髙石垣が築かれ、本丸には古式の算木積が残る。
山頂の本丸からは城下町の町並みが望めます。
戦国時代にここ引田の平野は讃岐の入口であり海と陸路の要所でもあったと聞き、気になっていた引田と城址に訪れました。
駐車場や仮設トイレもあり登山口には竹の杖なども置いてくれていたり、よく整備されていてありがたかったです。
石が豊富で標高82メートルという小さめながら眺めもよく、海に守られていて、御殿もあったらしく居城にちょうどいい感じがありました。
鳶が何羽か空高くクルクルと舞っているのをしばし見とれつつ。
初登りです1時間くらいで城跡、灯台とぐるっと一周回れました1人通れるくらいの山道です滑りにくい運動靴をお勧めします雨の後とかは絶対に滑るのでやめた方が良いと思います夏でも長そで長ズボンで行った方が良いと思います上に上がっての景色はとっても良いです(^O^)頑張って登って良かったと思いますよ(^○^)駐車場に簡易トイレあります分岐点には必ず案内表示があるので、何となく右や左に行けそうに見えるけど 標識のないところではまっすぐが正解です(^O^)
続100名城引田港の北に聳える標高86mの山にある山城(平山城)。
国境に近く、良好な港で海上交通の要衝だったこともあり争いが多く城主が幾度も変わってます。
戦国期には仙谷秀久が入城するも九州征伐で失態を犯し改易。
その後、生駒親正が入城したが江戸時代に一国一城令で廃城となる。
遺構の石垣などは生駒時代のものと思われます。
山頂部がコの字型になっており、独特な縄張り。
見ておきたいのは北二の丸跡にある野面積みの石垣です。
時間があれば貯水池として造られた「化粧池」もおすすめです。
スタンプ設置場所の讃州井筒屋敷でアドバイス頂けますので、登る前に来訪を。
引田城跡が、キレイに整備されているよ。
引田城は、讃岐の国で江戸時代編の軍記物語『南海通記』応仁年間(1467~69)に国人・寒川氏が領したとあるのが初見です。
引田は、讃岐国(香川県)の東端にあることから、戦国時代には阿波三好氏との攻防があり、引田城の城主は何度か替わりました。
天正11年(1583)、土佐国の長宗我部元親による讃岐侵攻の際、長宗我部軍と秀吉方の仙石秀久が、この地で戦いました。
その後、『生駒記』によれば天正15年(1587)に豊臣秀吉の家臣である生駒親正が播磨国赤穂から讃岐国に入部した折、引田城に入ったが、ほどなく引田を離れ、高松に高松城を築城したとあります。
引田城は、引田港を囲むように岬状に突き出した、元来陸繋島であった城山(標高82m)の山頂に築かれていました。
自然地形に沿ってU字形の城域を構成しています。
引田城跡には、生駒氏が築いた自然石を積んだ野面積の石垣が残っているほか、たくさんの瓦や建物の礎石が見つかっています。
この技術は織田信長の安土城築城から始まり、織田信長・豊臣秀吉方勢力によって築かれた織豊系城郭と呼ばれるものの特徴です。
豊臣秀吉の家臣であった生駒氏が築いた曲輪や石垣が残っていることは、織豊系城郭の全国的な普及を捉える上でも貴重な山城といえます。
それとともに、中世段階の土造りの曲輪と、生駒氏改築による石垣を備えた織豊時代の曲輪が残っており、地域の城郭発達を捉える上でも見どころが多い山城です。
引田城は城山と言われる山にある平山城で、初期の頃は、尾根伝いにコの字型に展開し、四隅には櫓を備えていた。
現在の遺構は、四隅の櫓の内、北と西の2つの櫓を中心に残っている。
引田城は高松城や丸亀城と同じく生駒氏時代の城であるが、その後香川の歴史上から消え去っている。
それは同じく高松城の支城であった丸亀城のように、その後再築されなかった事も要因の一つだと言われている。
1615年(元和元年)の一国一城令で廃城になった後、城がいつ取り壊されたかは不明で、長らく忘れられた存在だった。
しかし、文化財として調査・保存の機運が高まり、2000年(平成12年)12月20日に「城山国有林(引田城址)」として市指定史跡に指定されていた。
その後2020年(令和2年)3月10日に東かがわ市内初の国の史跡に指定された。
駐車場から、本丸跡に登るのも景色が良くていいけど、少し離れた二ノ丸跡の下から登ると階段があって、登りやすい。
山城跡で、登山道は簡単に整備されているだけなので、小学校高学年以上がよいです。
2月の天気のいい日曜は空いていてほぼ貸し切りで、ゆっくり自然と景色を楽しめました。
海が青くて綺麗な景色が観られます。
駐車場として整備されていないけど、案内図付近に駐車して皆さん登城してます。
最低でもスニーカーをオススメします。
続日本のお城にも選ばれ、来年早々に国の史跡認定も受けられます。
城壁はかなりの大きさで見応えがあります!
室町時代の築城。
賤ケ岳の戦いで柴田勝家に与した長曾我部元親を牽制するため仙谷秀久が入城、長曾我部勢と戦うが引田の戦いで敗れ淡路へ撤退し、落城した。
その後、讃岐一国を得た生駒親正が入城するも聖通寺城を築城し移ったことで廃城となる。
仙石権兵衛秀久と長宗我部元親が攻防を繰りひろげた城で、江戸期に廃城となっています。
城山は標高82メートルと登りやすく、コの字型の曲輪跡と引田灯台が見所で、快晴の日には瀬戸内海の景観も楽しめます。
瀬戸内ののどかな海を見ながら山登り。
最初は急だけど、登ってしまえば、ぐるり1周気持ち良く歩いて廻れます。
Super ballade avec quelques vues sur la mer. Très calme et sauvage.
一部の石積みが残る。
名前 |
引田城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0879-26-1238 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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ところどころ石垣が残っています。
見晴らしはとてもいいです。