鳥居と、長い階段の上にお社があるだけ。
赤城神社は、源頼朝公の元で畠山重忠と共に勇名を馳せた「稲毛三郎重成」により創建された神社です。
最初は、神社の裏手、今は緑ヶ丘霊園にあった作延城を築いた際、縁起の良い巽の方向に建てた第六天神社が始まりとされています。
その始まりは年号的には元暦元年(1184)の事とされています。
この赤城神社の裏手に築城された作延城から、源頼朝公が異母兄弟の阿野全成に与えた武蔵国長尾寺(今の妙楽寺)を挟んで、稲毛三郎重成の本拠地であった桝形城、更に館跡と伝わる広福寺を挟んで、最後は鎌倉道の矢野口の渡しを抑える小沢城が連なっています。
これは多摩川を挟んで敵対していた奥州藤原氏への備えとなる拠点が並んでいます。
また、赤城神社の名前の由来は、建立された9年後に、稲毛三郎重成が上州赤城山の霊夢を見たとして、社名を第六天神社から赤城大明神と改称したことが始まりとされております。
そんなことを考えながら、石段を登るのは、ちょっと楽しいです。
だって1000年前がここが奥州藤原氏に対する鎌倉幕府の最前線だった訳ですから。。。
戌の日にお参りに行きました。
冬期は積雪に注意してください。
元旦にふらりと参拝しました🎵人気もなく静かに寝ました❗
お参りしました!
1184年に舛形山城主稲毛三郎重成が当地に砦を築いた際、巽の方角に當当地に第六天神社として創建したといいます。
1193年に磐筒雄命を奉じて赤城社と改称、1243年には近隣十七郷の氏神と尊称されていたものの、現在は三田筑後守の末裔が中心として奉祀しているといいます。
丘の中腹にある神社。
静かで落ち着いており、気持ちよく参拝出来ました。
参拝するための路は2つありますが、両方とも階段になっています。
昔からある、地元の神社という感じ参拝の方が多く訪れる神社のような華やかさはなく、鳥居と、長い階段の上にお社があるだけ。
周りは雑木林に囲まれているため、空気が澄んでいるように感じた。
創建年代等は不詳ですが、妙覺院と称して創建、赤城神社とあわせ管理をしていたとあります。
住職泉海の代に天台宗寺院として開山、承応元年(1652)に赤城山妙覺院延命寺としたといいます。
寒くなると境内のお地蔵様はすべて赤い毛糸の帽子をかぶっていて、上作延には今も民間信仰が息づいているのが良く分かります。
念仏講、稲荷講、地神講、庚申待、善光寺講、御嶽講などが信仰の対象。
閻魔大王を含む十王像、倶生神像、鬼卒像など十王信仰に関係する仏像なども多くあります。
また、ここのご本尊は柳田國男『日本の伝説』に収録されている「鼻取り地蔵」で、悍馬を制するのに御利益があるということで、遠くは東北地方の農民にまで崇拝されていたとあります。
宮ノ下の信号北側に駐車場ありました。
石段を登ると中腹の小高い所が境内です。
天台宗稲毛三十三観音霊場第27番平成30年6月3日参拝おもてなし(お菓子)有難うございました。
赤城神社、東京の神楽坂にもありますね、あと群馬県にも総本社がありますね。
趣が合うのでしょうか、おりにふれて時々に出会えます。
名前 |
赤城神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
044-977-5639 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
上作延にある神社階段が急なので今まであまり足を運ばなかったのですが、地域を守ってくれている氏神様にご挨拶するために参拝上まで上がると眺めが良好ここから地域を見守ってくれているのかなぁと思える眺め階段のおかげで参拝する方をあまり見かけないため、落ち着いてお参りできて私は好きです。