名前 |
新戸の一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
一里塚跡です。
一里塚は通常、街道の両側に土盛した小山を造り、その上に遠くからでも目立つような榎(えのき)や松など木々が植えられていました。
1609年ごろから順次作られました。
一里はだいたい3.9kmです。
新戸の一里塚も 府中道の左右に塚がありました。
土で盛られたその塚の高さは3.3m。
塚の頂にはエノキがうわっていましたが、1789年~1801年の間に枯れてしまいました。
元和3年(1617年)家康の棺が日光東照宮に運ばれる時に、新戸の一里塚がつくられたといい伝わっています。
ここより東北の方向の一里(3.9㎞)先、下溝村に又一里塚があります。
(今はもう跡ものこっていないようです)今は1mほどの石塔があるだけです。
新戸村 新編相模風土記より塚 府中道の左右に相對す。
高さ一丈。
頂に榎樹ありしが寛政中枯る。
元和3年神柩通御の時築き立てありし一里塚なり。
と傅ふ。
爰より東北の方の下溝村に至りて一里、其所に又塚あり。