【比定社】(境内社 比布知社)あり(神社案内板の...
由緒ある神社で境内も綺麗にされていて気持ちが良い。
当社の神紋は弓となっています。
この辺りは越の国からやってきた人々と秦氏が住んだ事から、その神紋は秦氏の祖弓月君との関係も創造できます。
また神社の小山は中世の館跡でもあり、その遺構が所々に残されています。
〇知伊神社(ちいじんじゃ)【比定社】知乃社【祭神】高皇産靈神 配祀, 埴安姫神【住所】島根県出雲市知井宮町1245【備考】式内社・智伊神社に比定〇比布知神社(ひふちじんじゃ)【比定社】比布知社【祭神】神魂子、角魂神【備考】智伊神社に合祀稲荷神社あり平成27年10月18日 参拝。
高皇産靈神を主祭神とし埴安姫神を配祀する式内社・旧郷社です。
かつて北東約1kmに位置する多聞院西側に鎮座(多聞院はもともと智伊神社の神宮寺であり遷座後に現在の名称に改称)しており、現鎮座地へ遷座したようです。
道路から階段5段分高くなったところに鳥居・社号標・社務所が建てられており、鳥居をくぐると大正2年奉納、座型・大型の狛犬さんが一対おられます。
造形が周囲では見かけないものでした。
鳥居の横に由来書きの看板が立っているのですが板に黒字で書かれており、木目と経年のかすれの影響で読みにくくなっていました。
この由来書には遷座年は宝暦5年(1755年)とありました。
多門院の改称年度は同寺の由来書に亨保9年(1724年)と書かれており両者が正しいとすると遷座30年前に改称したことになってしまうのですが実際のところはよくわかりません。
灯籠を両脇に備えた階段をさらに登って行くと大正4年奉納、構えの狛犬に護られた随神門にたどり着きます。
門をくぐると正面に拝殿・本殿が建っていました。
拝殿に備え付けの賽銭箱には「弓」の神紋が刻まれています。
本殿は外削千木・三本鰹木・銅板葺きの切妻屋根で基礎が拝殿よりも高く作られていました。
配祀神の埴安姫神は明治40年に合祀されたようです。
境内社は金比羅・春日社(合祀)、稲荷神社、大三輪神社、大山神社、比布智神社、招魂社があるようです。
いずれも小型ですが千木や鰹木などの装飾の施された祠となっていました。
稲荷神社は2ヶ所あり、1つは本殿東側に他の境内社と並んで、もう1ヶ所は本殿西側の階段を登った先にあります。
こちらは2基の鳥居と祠の軒下・床下の部分が朱塗りされており、小型の石製狐さんが一対、陶製の狐さんが複数奉納されていました。
比布智神社は、祠の前に構えの狛犬さんがおられます。
天保2年奉納らしくかなり風化が進んでいます。
もともと保知石谷に神魂子・角魂神社と比布智神社があわせて祀られていたものが、江戸初期に比布智神社本体が下古志(現在比布智神社がある場所)へ遷座、残った神魂子と角魂神が明治期に現地へ移されて現在の境内社・比布智神社となったとのことですが経緯が複雑ですね。
【2017/7月追記】2017年4月に階段上/隋神門前の狛犬さんが更新されました。
来待ストーンで製作された来待石製出雲構え型ですが現代風のアレンジも加わっていました。
式内社・智伊神社に比定されている古社。
『出雲風土記』には「知乃社」とある神社。
「ち」の音がのびて、「ちい」となったのかもしれない。
延喜式では「智伊」と書かれ、現在地名は「知井宮」。
「ち」とは精霊をあらわすという説があり、当社も、自然の神秘的な力を祀ったものかもしれない。
つまり、「ちのみや」とは「精霊の宮」ということか。
古来、出雲大社と関連があったようで、大社の神宝保管の役をつとめ、大社遷宮の時は古在が下附されていたようだ。
当社は往古、字東原の多門院に隣接する地にあり、古社地として、多門院境内の築山に荒神社が祀られている。
境内社の比布智神社があり、式内社・同社坐神魂子角魂神社とされている。
この「同社坐」とは、延喜式神名帳の記載順では、その前に記されている、式内社・比布智神社のこと。
比布智神社と同域に祀られていた神魂子角魂神社という意味。
比布智神社本体は、江戸時代に保知石から下古志へ遷り、残っていた神魂子角魂神社は、明治になって智伊神社境内へ遷って、境内社・比布智神社となったという。
埴安姫神は、明治40年、当社へ合祀されたもの。
高皇産靈神を主祭神とし埴安姫神を配祀する式内社・旧郷社です。
かつて北東約1kmに位置する多聞院西側に鎮座(多聞院はもともと智伊神社の神宮寺であり遷座後に現在の名称に改称)しており、現鎮座地へ遷座したようです。
道路から階段5段分高くなったところに鳥居・社号標・社務所が建てられており、鳥居をくぐると大正2年奉納、座型・大型の狛犬さんが一対おられます。
造形が周囲では見かけないものでした。
鳥居の横に由来書きの看板が立っているのですが板に黒字で書かれており、木目と経年のかすれの影響で読みにくくなっていました。
この由来書には遷座年は宝暦5年(1755年)とありました。
多門院の改称年度は同寺の由来書に亨保9年(1724年)と書かれており両者が正しいとすると遷座30年前に改称したことになってしまうのですが実際のところはよくわかりません。
灯籠を両脇に備えた階段をさらに登って行くと大正4年奉納、構えの狛犬に護られた随神門にたどり着きます。
門をくぐると正面に拝殿・本殿が建っていました。
拝殿に備え付けの賽銭箱には「弓」の神紋が刻まれています。
本殿は外削千木・三本鰹木・銅板葺きの切妻屋根で基礎が拝殿よりも高く作られていました。
配祀神の埴安姫神は明治40年に合祀されたようです。
境内社は金比羅・春日社(合祀)、稲荷神社、大三輪神社、大山神社、比布智神社、招魂社があるようです。
いずれも小型ですが千木や鰹木などの装飾の施された祠となっていました。
稲荷神社は2ヶ所あり、1つは本殿東側に他の境内社と並んで、もう1ヶ所は本殿西側の階段を登った先にあります。
こちらは2基の鳥居と祠の軒下・床下の部分が朱塗りされており、小型の石製狐さんが一対、陶製の狐さんが複数奉納されていました。
比布智神社は、祠の前に構えの狛犬さんがおられます。
天保2年奉納らしくかなり風化が進んでいます。
もともと保知石谷に神魂子・角魂神社と比布智神社があわせて祀られていたものが、江戸初期に比布智神社本体が下古志(現在比布智神社がある場所)へ遷座、残った神魂子と角魂神が明治期に現地へ移されて現在の境内社・比布智神社となったとのことですが経緯が複雑ですね。
【2017/7月追記】2017年4月に階段上/隋神門前の狛犬さんが更新されました。
来待ストーンで製作された来待石製出雲構え型ですが現代風のアレンジも加わっていました。
〇知伊神社(ちいじんじゃ)【比定社】知乃社【祭神】高皇産靈神 [配祀] 埴安姫神【住所】島根県出雲市知井宮町1245【備考】式内社・智伊神社に比定〇比布知神社(ひふちじんじゃ)【比定社】比布知社【祭神】神魂子、角魂神【備考】智伊神社に合祀稲荷神社あり平成27年10月18日 参拝。
ちい神社 @古代日本正史 原田常治著P272より 祭神 高皇産霊神は、島根県出雲市の智伊神社、奈良県大和高田市天神様、徳島県鴨島町天満神社に知恵の神様として祀られている。
菅原道真以前は、タカミムスビが頭脳の神様として天満宮、天神様であった。
名前 |
智伊神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0853-22-7055 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=30161 |
評価 |
4.1 |
【比定社】(境内社 比布知社)🅿あり(神社案内板の裏他)鳥居前から見た印象は『巨大寺院』。
寄付された灯籠が多くあるようだが、これが白く大きいためそう思えてしまう。
狛犬はあまり見たことの無い造形であり、またこれも大きい。
これまでで一番かもしれない。