名前 |
榎城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
榎城は県内最大規模の鹿ヶ瀬城(由良町)に匹敵する大規模な山城で、主曲輪を中心に3方向の尾根に向け曲輪が配置されてその範囲は300mに及ぶ。
榎城は文献には登場しないため築城主体や築城年代は不明であるが、大軍を率いることが可能な畠山氏か湯河氏に関連する城であろう。
南東側尾根を約350m離れた位置にある鳴神城(印南町)があるが、榎城との関係性は不明である。
榎城は切目集落に向けて谷を包むように各曲輪が配置されており、北側からの敵を迎え撃つため築かれたと考えられる。
対してに位置する切目方面からの敵に対して、範囲は広く尾根上を3か所に別れて曲輪が配置されていることから、切目方面からみなべ方面に侵攻する敵を阻止するために築かれたと思われる。
鳴神城と榎城の関係であるが、両城は約350m離れているが痩せ尾根により繋がっており、同じ勢力の城であるが遺構から先に築かれたのは榎城と思われる。
なお西出城には畝状竪堀群や横堀が見られることから、天正13年(1585年)羽柴秀吉の南征時に大規模な改修が行われたと思われる。
榎城は、みなべ町西岩代と印南町名杭との境界にある標高224mの城山にある鳴神城を経由して北西約350mにある。
榎城は主曲輪から其々尾根で繫がっている西出城と北出城からなり、鳴神城方面南東側痩せ尾根には堀切3条により遮断されている。
主曲輪と西出城の間には堀切が3条と曲輪が3か所あり、兵の駐留が可能な構造となっている。
西出城曲輪には北側と南側に土塁と溜池跡があり、南側切岸下には横堀と畝状竪堀群を組み合わせ防御性を高めている。
主曲輪と北出城の間には切残しされた土塁を越えると鉄塔が建っている部分に堀切と竪堀がある。
北出城曲輪北側には低い土塁と虎口が開いており、また北西と北東尾根には其々堀切により遮断している。
榎城は遺構の残存状態も良く、また中世山城に取り入れられている様々な遺構を見ることができる貴重な城跡である。