名前 |
橘逸勢邸址 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
平安時代、橘逸勢(たちばなのはやなり)の邸宅「蚊松殿(はいまつでん)」の有ったところです。
逸勢は奈良麻呂の孫で、書にすぐれ、宮城の額は たいてい逸勢が書いたといわれ、嵯峨天皇・空海とともに当時「三筆」といわれました。
後に「承和の変」に連座し、伊豆に流される途中、遠江国(とうとうみ)で憤死しました。
朝廷は死後、その怨霊をおそれて 従四位下を追贈し、八所御霊の一つとして御霊神社に祀られました❗蚊松殿はその後 源師房の邸となりますが 怨霊のやどる家は永続きはせず、安元三年(1177年)の大火で 逸勢 社とともに焼亡したと言うことです。