20200223三沢は晴天だったので七戸城弾丸ツア...
史跡 七戸城跡(柏葉城跡) / / .
時間ある時に散歩したい。
散歩コースに最適かも!
国史跡。
それ程広くは無いが、高低差あり堀もありと、お城らしさが感じられる。
人が居なさすぎでガランとはしているが、適度な手入れは入っているように見えて、寂れたという感じはない。
ただ城の周りの街並みは、衰退して憚らない地方の典型ではあるが。
お城の一角にある七戸神明宮もなかなか立派な神社である。
ただ遺憾せん周囲に何もなさ過ぎて、余程の城址巡りが好きな人を除くと、足を運ぶ価値を見出せるか否かは微妙。
6月下旬、初めて見学に来ました。
東門は昔の雰囲気がありますね。
入ってすぐの緑が豊かで綺麗です。
丁度、花菖蒲が咲く時期でした。
2021年8月8日に見学しました。
建武2年1335年にこの地を安堵されたのは、南部政長であり、戦国時代末期まで、彼の子孫が七戸南部氏として君臨しました。
天正19年1591年「九戸政実の乱」において、七戸南部氏は、政実に味方したため、宗家である三戸南部氏と対立することになりました。
奥州仕置で羽柴(豊臣)秀次軍に敗れ、七戸南部家は断絶しました。
戦後処理として南部信直は、慶長2年1597年に南氏の血筋の七戸隼人正(はやとのしょう)直時を2千石で城主にしました。
寛文4年1664年に城主であった重信が第29代盛岡藩主になったため、それ以後、盛岡藩の直轄地となりました。
そのため、代官所となりました。
20200223三沢は晴天だったので七戸城弾丸ツアーに行って来ました。
途中から吹雪の中、無事に「七戸城跡」に到着しました。
七戸城跡の駐車場に車を止めて降りる頃には風は止んでましたが雪は未だ止みません。
七戸城は柏葉城とも呼ばれ鎌倉末期または南北朝時代に築かれた城です。
七戸南部氏の代々の居城としても知られています。
1591年(天正19年)、七戸家国が南部氏一族の有力者である九戸政実とともに奥州仕置を行う豊臣政権に反抗して断絶しました(九戸の乱)。
その翌年には城も諸城破却令によって破却されました。
江戸時代には七戸藩(盛岡新田藩)が創設され、藩庁がここに置かれました。
現在は柏葉公園としてとても綺麗に整備され、往時の曲輪、土塁、水濠、空堀などが現存していますが今日は雪の下です。
また本丸城門が町内の青岩寺に移築されているそうです。
春の晴れた日も最高でしょうね!
よく手入れされてました。
地域の方たちの散歩コース🚶u200d♂️
名前 |
史跡 七戸城跡(柏葉城跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
七戸の街を望む高台にあり、ちょっとした休憩場所もありました。
落ち着いた雰囲気の史跡で散策にも適しています。