高萩飛行場跡所在地 日高市大字旭ヶ丘全域 萩飛行場は、昭和十三年十二月、陸軍航空士官学校(現在の入間市)の高萩分教場として使用開始された。
当時この地は、北海道などからの入植者によって山林が農地として開拓されていたが、日華事変の拡大に伴い軍用地として接収された。
飛行場の規模は、東西一七〇〇メートル、南北一三〇〇メートル、面積は約二二〇ヘクタールで、飛行場設備の主な建物としては、格納庫四庫(内二庫は鉄骨)、本部舎(二階建)、兵舎二棟(二階建)、機材庫、車庫、庶務事務所、講堂、将校下士官用控室、炊事用建物などであった。
飛行練習は、主に通称赤トンボと呼ばれていた九五式練習機などを用いて行われた。
昭和二十年二月まで、航空士官学校生徒の飛行練習場として、大きな役割を果たした。
飛行場としては、同年八月の終戦まで使用された。
平成八年一月 日高市教育委員会。
名前 |
高萩飛行場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
高萩北公民館の自転車置き場横に説明板があります。