忘れもしない東日本大震災。
駐車場が広いです。
入場は無料です。
ここは、屋外から校舎の中を見学するスタイルになっています。
あまり目立ちませんが、土手に津波の高さが表示されていました。
2階の天井辺りの高さのように見えます。
コンクリートの渡り廊下が倒れたり、屋外ステージの様なところのコンクリートの屋根が倒れていたりで、津波の勢いがすごかったことがわかります。
生徒、職員の方々が犠牲になってしまった経緯が記載されており、裁判が行われたことも展示されていました。
避難方向に謝りは無かったのと思いましたが、避難を始めた時間が遅かったのかなと感じました。
当時の状況がわかりませんが、誰もがこのような津波がやって来るとは想像していなかったのではないでしょうか。
向かい側に資料館があります。
その奥には慰霊碑があります。
ぜひ訪れてみてください。
当日の様子が良くわかります。
忘れもしない東日本大震災。
そんな中大津波で大被害が出た場所です。
校舎や体育館、渡り廊下などの倒壊跡を見るとその凄まじさ恐ろしさが想像出来ます。
地元の人が、本当は更地にして忘れてしまいたいと言う方もいらっしゃったそうですが、この災害を後世に伝える為に保存したそうです。
敷地内には資料館もあり、当時の様子がよく分かりました。
オススメです。
小学生の時に、被災した大川小学校に千羽鶴を送りました。
10年後の現在、たまたま近くを通りかかったので車で寄りました。
ニュースで情報を得るのと実際に目で見て感じるのとでは大きく違いました。
今回の見学で胸が苦しくなりましたが、本当に来れてよかったと思います。
犠牲になられた子供達と職員の皆様のご冥福をお祈りします。
今、ちょうど同い年くらいになるこどもたちに見せたかったので、フェリー旅で到着した仙台港から足を伸ばして訪れました。
至る所の鉄筋のねじ曲がった姿を見ると、当時の津波の衝撃や恐ろしさが今でもひしひしと伝わってきます。
また、その当時の状況やその後の学校側や県の対応などの詳細も資料展示館で説明されていて、自分たちがまったく知らなかったことも知れました。
こどもたちもここから何かを感じ取ってくれたのではないかと思います。
しかし、もうひとつびっくりしたことがこの大川小学校の在りし日の姿がとても開放的でモダーンなデザインだったということ。
資料を見ると1985年に建てられた学校らしいですが、40年程経た今見てもとても素敵な造りの校舎で、当時はきっと地域の自慢の学校だったんだろうなと思いました。
あと、まだ現存しているグラウンドで、賑やかだったであろう当時の日常と同じように次男とかけっこで競争しました。
最後はヘトヘトで足がもつれて転けそうになりましたが、まだなんとか勝てました(笑)とてもいい思い出になりました。
巨大な北上川のほとりの少し低くなった処に建物とグランドがありました。
地形的にここは避難所としては向いてないと思いましたが、行政はどうして指定したのでしょうか?その為に避難が遅れたとしたらやり切れなく思いました。
すぐ裏に山があり左側の斜面はそんなに傾斜もない様に見えました。
色々な事情があったんでしょうが、なんとか子供達が助かって欲しかった。
今も4人の子供達が見つかっていないとは絶句しました。
今までメディアなどで映像は見ていましたが、実際に自分の目で見るのは全然違います、機会があれば是非来て、見て、考えることが犠牲になった方々の存在意義になると思います。
東日本大震災の遺構です。
北上川の河口から4キロの内陸の川沿いに建っています。
児童74人、教職員10人が犠牲になってしまいました。
5分で避難完了できる裏山があります。
傾斜は緩く低学年でも登れる小さな山がすぐそばにあるのです。
(山の中腹に津波到達点がありました。
)それなのに何故?・地震発生後、せっかく山に避難した児童までも呼び戻して、校庭に集めて点呼。
・今後の動向をどうするのか議論し合い、やっと避難を開始したのが50分後。
校庭に留め置かれた生徒達は恐怖のあまり泣きじゃくり、嘔吐した子もいたそうです。
・しかも、避難場所は裏山ではなく、新北上大橋のたもと。
(通称、三角地帯)・やっと移動を開始した直後、川を遡上してきた真っ黒な壁となった津波に襲われてしまいました。
この地域にこれまで津波が到達した事がなく、それどころか、小学校が避難場所になっていた事もあって、全く危機意識がなかったのです。
教職員たちも子供を守ろうと必死だったと思いますが、その判断のミスで甚大な被害が出てしまいました。
実際にこの地に立って子供達に思いを馳せると、悲しみ、憤り、…いろんな感情が溢れて胸が苦しくなりました。
今は見渡す限りの平地に小学校がポツンと建っているだけですが、ここには確かに家々があり生活がありました。
津波の恐ろしさ、凄まじさに身がすくむ思いです。
「未来に繋ぐ」為に、是非、皆さんに訪れて頂きたいです。
グループで来ていたおば様方。
大きな声で楽しそうに談笑しながら見てまわっていました。
とても違和感を感じました。
ここは観光地ではありません。
名前 |
震災遺構大川小学校 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0225-24-6315 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.7 |
頑丈な鉄筋コンクリートの建物が、こうも簡単に壊れるのかと、自然の驚異に驚いた。
直ぐそこに、津波から逃れることができるほど高い裏山があるのに、多数の生徒や教師が犠牲になった現実には、ただ言葉を失う。
家族で訪問したが、この景色を前にして、「生きている間に、もし、同じような状況になったら、自分の命を守ることだけを考えて」と、子供に伝えた。