帰りたいなああの頃へ。
高槻市立阿武野小学校 / / .
帰りたいなああの頃へ。
長女、長男、次男と三兄弟が通った小学校、校庭が南向きで広い、今も子供たちの元気な声が聞こえてきます。
名前 |
高槻市立阿武野小学校 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-694-4666 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
校地は北東隅のプールの北端が最奥で、三階建ての校庭に面した校舎は、東京オリンピックに合わせて一番北に建てられたもの。
校庭の西に立つ大きなクスノキの前のラインが校庭の最北だった。
プールの南側に焼けた講堂が建っていた。
正門を入って東側には、西隣の交番の横に移転した「忠魂碑」が建っていて、戦中の児童は、前を通るたびに「敬礼」を捧げていた。
北側の住宅を買収して校地を拡大して、児童増加に対応したのだが、女瀬川が流れていたところを埋めて4階建ての校舎を繋いでいる。
だから、女瀬川が途中で途切れているように見える。
校歌や昭和30年代の写真にあるように、校庭の真ん中に太い柳が2本寄り添うように立ち「運動会」の万国旗が結ばれていた。
昭和42年7月の阪神豪雨の際には裏の池の堤防決壊があり、東側の女瀬川によって校地の南東隅が大きくえぐられ「秋は、黄金の波の上」とある校地より1m下の水田が全滅した。
その後、そこには土盛りがされて現在の住宅地となった。