ひっそりとした碑で後ろに大きな木が生えています堤防...
チープにお散歩するなら、自転車で行けますよ。
今里から自転車🚲で行きました、同じ様な人柱の話しは長良人柱にも有るのですが、こちらの話しは仁徳天皇の時代に茨田堤お築こうとするのですが、何度やっても2箇所だけ切れる所が有り堤が繋がら無いので人柱お立てようと言う事に、なり武蔵の国の強頸と茨田連彩子との二人が人柱に決まり強頸は命に従い堤に沈み堤は繋がりました、後は彩子の番ですが彩子は瓢箪お取り出し此の瓢箪が沈んだら自分も人柱になると川伯に言います川伯は瓢箪お沈め様とするも沈められず彩子は人柱お免れたと言うが残っています⭕⭕
ひっそりとした碑で後ろに大きな木が生えています堤防の1段下りた所に有るので目立ちません。
太間公園の駐車場あり。
すぐ横に有り。
生茂った木の中に大量の鳩が木の実を食べに集まります。
まるで鳩のなる木のようです。
大工事があったことを現代に伝える碑です。
日本最初の河川堤といわれる「茨田堤(まむたのつつみ・まんだのつつみ)」碑=写真=は、太間町の淀川堤防沿いにあります。
すぐ前には、「大阪湾まで約21・9キロメートル」の標識が建てられています。
日本書紀によると、工事は古墳時代の仁徳天皇11年に行われ、淀川の洪水を防ぐために計画されました。
難工事の連続で、工事の安全を願う人柱の話も伝わります。
太間町の名は、堤が破れた「絶間」からきたといわれます。
この辺りは、紀貫之の土佐日記に出てくる「わだの泊まりの分かれ」の推定地の一つです。
碑はオランダ人技師、デ・レーケたちによる明治の淀川改修から百年になるのを記念して、昭和49年に建立されました。
古代にこれほどの大工事が行われたことは驚きです。
枚方大橋から淀川新橋に向かって左岸を進むと新橋手前で見えてきます。
石碑というのは歴史、謂れを知って見るか、知らないで見るかで感慨の深さが随分違います。
私は古代史の本を読んで見(探し)に行ったのでそれなりに満足しました。
堤防の上の道路から一段降りたところにあります。
名前 |
茨田堤の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
ここの碑を目的に行かれた方は、もう一箇所行ってください。
京阪の大和田駅近くの捏根神社が有ります。
その裏に大木と堤の碑が有ります。
是非こちらも行ってください。