東京の初詣で、こちらの相方と神社はしご。
こじんまりした神社ですが、手入れが行き届いており、神道で大切とされるすが清浄なすがすがしさに満ちているのが素晴らしいです。
おみくじが大吉で年明けに嬉しい気持ちもいただきました。
近場での初詣の際にお参りさせて頂いてます。
混雑具合もそこそこなのですが、今年はいつも以上に並びました。
昨年秋に引越して来ました。
氏神様の白幡八幡大神は初めて訪れました。
ローカル色濃く、フレンドリーな参拝者が多くみられ、好感が持てました。
何となく今年は良い年になるのかな〜、なって欲しいですね。
セブンに買い物に車を止めて不意に神社が目に入りました。
神社入り口に川崎市の説明書きが書いてありました。
歴史のある神社なんですね。
たまに利用するコンビニの横にこの様な神社があるとは、近くで仕事することも含め感謝の気持ちで参拝ご挨拶しました。
広くはないけれどとても手入れの行き届いた綺麗な神社で心落ち着ける場所です。
御朱印は書き置きです。
溝の口駅、もしくは宮前平駅からバスです。
駐車場もあるので、車で行くのがベストです。
安産祈願で1/2夕方に伺いました。
空いていて助かりました。
御朱印が書き置きじゃなければいいのにな…
地元の著名な神社で、元旦には毎年多数の参拝者が訪れ、1時間以上も待たないと参拝出来ませんが、今年は訪問者も私が訪れた早朝は少なく即刻初詣が叶えましたが、矢張り10時過ぎには少し待たされた様です。
早々に新型コロナに退散を願ってきましたがーー!!?。
感染対策も出来ていたので、気持ち良くお詣りできました☺️
子供の頃は地元民以外はほとんど住んでいなかった平地区。
現在のバス通りもセブンイレブン平4丁目店前の道もなく、車1台が通れる未舗装の道しか辺りにはありませんでした。
ですが祭りの時は参道に出店がずらっと並び、大変賑やかでした。
現在でも地元の人々に大切にされ、境内も綺麗です。
宮司が太鼓のみの伴奏で舞う禰宜舞(ねぎまい)は毎年7月20日と9月の第3日曜日(例大祭)の二回行われています。
この禰宜舞は川崎市の指定文化財になっています。
▼家の近所の白幡八幡、なにやら源氏と関係がありそうなので、買い物ついでに立ち寄ってみたのですが、由緒等が書かれた看板等が見当たらなかったこともあり、寂しく退去しました。
▼帰宅して調べると、なかなか興味ある事実が分かりました。
▼1053年に始まった前九年の役の途中、源頼義は陸奥鎮守府将軍の役職任期が完了したので、一度仙台は多賀城を後にして、もう一度体制を立て直してから、また奥州へ向かったようです。
▼この前九年の前半戦で源頼義は、信頼していたのに裏切られた藤原経清(つねきよ)や安倍一族にしてやられた感が強く、このトラウマの反動で奥州征伐へ再度出征するにあたり、自分たち源氏の氏神である八幡大神への祈念に拘りがあったようです。
▼前九年の役の元鶴岡八幡宮(由比若宮)や東京都杉並区の大宮八幡等、出征のスタートや途中に吉事を願っては社を建てる約束をして仙台・多賀城までの道のりを息子・義家と一緒に北上していったようです。
▼更に、出発した鎌倉の元鶴岡八幡宮から十里(40km)地点に幣(ヌサ)を地に突き刺し、必勝を祈念しながら北上したという事で、何やら念には念を入れてのような話ですね。
▼で、実はこの神社、その幣を立てた場所に、133年後、源頼朝が神社を建てていったのです。
彼は平家打倒でも出馬しませんでしたが、奥州藤原氏を滅ぼす時は、源氏の棟梁として出馬。
それは前九年の役&後三年合戦で頼義・義家の2人の偉大な源氏のご先祖でも無し得なかった奥州王国を完全に潰したことで、歴代源氏における自身の優位性を示そうとしたのです。
▼盛岡市にある厨川柵までわざわざ4代目藤原氏の泰衡の首を持って行ってその首を8寸釘で柱に打ち付けたのも、頼義がこの柵で133年前に安倍貞任(さだとう)の首を同じ釘で打ち付けた故事に倣って行ったのです。
▼このような経緯で出来たこの神社、「稲毛惣社」とありますが、実はここの領主・稲毛三郎重成は頼朝の重要な家臣であり、この地が奥州等北側から鎌倉攻めをしてくる際には重要な第一防衛線でもあります。
昔からお名前だけは知っていましたが、今までこのあたりは通過するだけでした。
しかし、行ってみましたらしっかり手水舎も機能していましたし狭い空間でしたが、良い雰囲気でもありました。
天気が良いと周りの景観もいいですし、良いモノをいただいた感じが致しました。
毎年必ず初詣に伺います。
綺麗で厳かな八幡様です。
お宮参りで行きました。
芝生が綺麗で整備がいきとどき、高台にある気持ちのいい神社でした。
神主さんもとても親切でした。
七五三もこちらでやりたいです。
友人と一緒に初詣で初めてお参りをさせて頂きました。
源頼朝が奥羽二国の討伐へ出陣した際、討伐成功の折には鎌倉八幡宮から十里毎に八幡祠を建て、無事成功したのち鎌倉から十里にあたるこの場所に神社を建てたのが始まりだそうです。
決して大きな神社ではありませんが、神社や地元の方々に大切にされていてとても綺麗で、参拝客も多く訪れています。
大きな神社も良いですが、地元に密着している神社も良いものですね。
2018/12/1参拝(御朱印受)行き帰りにバスを利用。
行きは向ケ丘遊園駅からバス停「白幡八幡前」で下車、帰りはもうひとつのバス停「白幡八幡前」から溝の口駅へ。
◾️行きのバス停は、交差点「平二丁目」と交差点「平五丁目」の中間に位置◾️帰りのバス停は、交差点「平」と交差点「平五丁目」の中間に位置帰りはグーグルマップと携帯のGPS位置サービスに助けられまた。
予定していたバスに乗り遅れるところでした。
もし乗り遅れていたら、この後に参拝した天照皇大神の御朱印もいただけることが出来なかった。
明るくてきれいな神社です。
ちょうど宮参りに出くわしました。
駐車場もあります。
GooGleに案内してもらうと超細道を通らされますから、目的地を隣のセブンイレブンにするといいでしょう。
●(3月初卯の日)10~11初卯祭。
祭礼/お稚児さん2人が的を射る/氏子や見物人が的を射る・鳥居に、藁で作った大蛇(舌は人参/目は八ツ頭/角はゴボウ)を飾る。
野菜は地元産で夏祭りまで飾る・おまとう(的祭り/マトー/御歩射おびしゃ/御奉射)●(7月第3日)13~夏祭、(9月第3日)10~例大祭では禰宜ねぎ舞(約40分/川崎市の無形民俗文化財)を行い、5つのお面を着けて踊る。
舞のあとは餅まき。
例大祭では神輿も出る。
東京の初詣で、こちらの相方と神社はしご。
東京では無いんですが(笑)宮前平駅からバスに乗り、戌年にゆかりのある神社と言うことでお詣り。
住宅街の中にある小さい神社ながら綺麗に保たれていて好印象。
有馬から散歩で訪問。
もう1月3日なのに行列。
地元に愛されている神社なのでしょう。
行ってみたいけど、場所が不便だなと思ってたら、溝の口駅からバスがありました。
鳥居の額には八幡宮とありましたが、八幡大神が正式名みたいですね。
御朱印いただきました。
芝生が緑の時に行ってみたいです。
いつも綺麗にしてあり、とても気持ち良い神社です。
ベンチもあり、ついつい長居してしまいます。
芝がとても綺麗です。
おみくじも変わった形をしています!
明るい神社です。
二の鳥居の注連縄が変わってます。
きれいな神社です。
地元の神社は神職が常務していないので、初めて白幡八幡大神社に来た時は驚きました、開けた神社の気配ほど素晴らしいものはないと思います。
看板に書かれてあるより御祭神は多くて唸りました、すごい。
以下、白幡八幡大神HPから転載。
御祭神玉依姫命(タマヨリヒメノミコト) 安産、商売繁盛、方位除,他神功皇后(ジングウコウゴウ) 安産、合格、厄除.他応神天皇(オウジンテンノウ) 成功・勝利、交通安全、病気平癒.他配祀神 伊奘再命(イザナギノミコト)事解男命(コトシロノオノミコト) 速玉男命(ハヤタマノオノミコト)天照皇太神(アマテラスオオミカミ) 国常立命(クニトコタチノミコト)倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)日本武尊(ヤマトタケルノミコト)天満大神(テンマンダイジン) 奥津島姫命(オキツシマヒメノミコト)御由緒源頼義が奥羽二国の征討将軍として遠征の途についたのが康平元年(1058)平安時代の中頃でした。
当時奥羽二国は全くの未開の地で、殊に兇暴の聞こえが高かった地方へ向かって行くのですから、これ程危険な事は無く、大きな冒険でした。
そこで、崇敬の厚かった鎌倉八幡宮の御加護を頂く為に「この度の使命を果たす事が出来ましたら鎌倉から奥州へ行く街道十里(40km)毎に八幡祠一社ずつを造りますと誓いをたてて、当神社の地が丁度第一次の里程になっていましたので山上高く幣帛を捧げて祈願を込めました。
この誠心が神に通じ無事使命を果たして帰る事が出来ましたので康平4年(1061)に当神社を奏祠したのです。
それから暫く乱戦が続いて国内の乱れと共に神社も荒れたままでしたが、源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、祖先の事歴を調べて建久3年(1192)に当神社を再建し、鎌倉八幡宮から御霊分けし、源栄山八幡宮と称される様になりました。
その頃、稲毛三郎重成が桝杉山に居を構えて、この土地の領主となり、当神社は稲毛領57ヶ村の総鎮守となりました。
天正19年(1591)、関八州の太守となった徳川家康に朱印地70石を寄進されました。
当時、朱印地10石は1万石の大名に相当する格付けでしたので、いかに大きな保護を受けたか分かります。
現在御社殿にかかっている額面に「稲毛惣社」と印されています。
本殿に鎮座されている御神像は享保12年(1727)に奉彫されたものです。
明治6年郷社に列せられ白幡八幡大神と称せられ現在に至っております。
なお現在の御社殿は昭和48年10月に再建されました。
開けた雰囲気で、夏場だったので芝生の緑が鮮やかなきれいな境内でした。
名前 |
白幡八幡大神 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
044-977-5639 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
御朱印が頂ける神社。
書置のものが頂ける。
境内は広くとても綺麗に整備されている。
駐車スペースあり。
案内板が出ている。