正面は阪神高速が走る大通り側です。
白河天皇 成菩提院陵 / / .
白河天皇と言えば院政の初代の…とか、我のような天皇は居ただろうか?と家臣に自問した…とか、賀茂川、サイコロ、山法師…とか、歴史に名高い…と、ドキドキしながら探したところ、意外にも京阪高速道路沿いにあり、隣りは普通にオフィスになっていたりしてびっくり!(実はグーグルを使ったのに迷ってしまうという迷走ぶりを発揮)院政時代はこの辺りに鳥羽離宮があって、白河法皇もそこに来たりしていたのでしょうけれど、900年が経過すると、院政の中心地はすっかり京都市の工業地域になっているようでした。
とはいえ、陵墓は小さいながらも築山もお堀もあり、それなりに形式を保っているので、本人の事蹟をしのぶには良いのではないかと思います。
歴史オタクな方にはおすすめ。
交通安全のお祓いで有名な城南宮も近いです。
特に何かがあるということもなく…白河天皇がどういう人物かとかも書いてないですしね。
以前にこの御陵を訪ねた時は、回りを田畑に囲まれた静かなところで、陵前からは近衛天皇陵の塔も遠望できた程だったが、今では目の前に高速道路の開通等で街中の御陵となってしまった。
白河天皇陵も、近衛、鳥羽天皇陵と同じく、成菩提院と言う御堂に火葬後、安置された筈だが消失し今の様な木の生えた普通の御陵となっている。
ただ成菩提院は、現在白河天皇陵に指定されている所にあったかは、はっきりせず近辺に、後宮塚陵墓参考地、成菩提院陵墓参考地、の2ヵ所が候補地として宮内庁に管理されている。
陵墓参考地として管理はされているが、白河天皇陵がそちらに移転する訳でもないけど。
駐車場が無かったので、私は城南宮の駐車場に車を停めて歩いて参拝しました。
高速道路に面して天皇陵。
うーん不思議と言うか, なんとも言えん。
🤔
大きな通りと高架高速道路が挟まって一人寂しく佇んでいるように見えました。
白河天皇 成菩提院陵平安時代後期の1053年に誕生 1129年に崩御し1073年から14年間在位されました。
静かで近隣に京セラ本社があるとは思えない。
意識しないと通りすぎるかも。
ひっそりしています。
特に説明書きとかもなく写真撮ってふーんって感じ。
2017.11.14.(火) 13:30 初来訪 (奈良斑鳩人)シトシトと降り頻る雨の中 お参りに来ました第72代 白河天皇は 約400年続いた平安時代後期の1053年に誕生 1129年に崩御し1073年から14年間在位されましたまた名称の「成菩提院陵」ジョウボテイインリョウは 住所地の「浄菩提院町」から来るものと思われますが 何故「成」が「浄」に成っているの かは知りません!文献には 御陵の形は方形で 一辺が33mと有りましたが もっと小さく見えましたしかし元は 一辺が56mも有り 周囲の堀も幅が 8.5m程有ったトノ事で 随分と小さくなったモノです また いつ頃ミニに成ったのか何故ソウ成ったのかは ハッキリした事が分からない と有りました正面から 御陵を見ると 丸く見えますが駐車場や 御陵西側に有る道路に行くと 御陵周り4方の壕の隅々が直角に成っている様子を 伺い知るコトが出来ます尚 駐車場は 御陵の左端にある 細い侵入路を入ると ソノ奥に有ります私が行った時には チェーンが張られ ダメだと困りました帰宅後 管理者に電話で確認したトコロ不法駐車の車が多い為 ソノ様にしているがチェーンは 施錠がされておらず 簡単に外す事が 出来るトノ事でした少し 信じ難い コトですがぁ⁉2017.11.16.(木) 09:30 再訪駐車場の事が気になり 京都に行く予定が出来キチッと 検分のために立ち寄りました歩道に面し 駐車場の進入路が有りますが鋼製のポールが 両端に2本と中央に1本有りまず 張られている2本のチェーンを外し中央のボールを 引き抜くと 通行出来ました従って チャット手間のかかる 駐車場でしたお帰りの際には 元の状態に戻し 安全にお帰り下さい❗
正面は阪神高速が走る大通り側です。
宮内庁管理だけあって、綺麗に清掃されています。
お堀に囲まれて 城郭のミニチュアみたいです。
名前 |
白河天皇 成菩提院陵 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-601-1863 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 8:30~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
とくに観光目的になるものは見当たりません。
基本は周辺の観光地から徒歩でアクセスです。
駐車場はなく、目の前の道の路駐はダメと言う以上に危険です。
西側の民家エリアにコインパーキングあります。
徒歩で2-3分。