西国三十三ヶ寺巡礼の第11番札所です。
久しぶりに。
時々散歩に来る所。
醍醐寺の金堂。
ここも唐門と同じく国宝ですが寺院の方も居ずすばらしくオープンな感じ。
開け放たれ自由に見学出来ます。
いたずらとか不安になるぐらいでしたが歴史と遺産を堪能出来ます。
醍醐寺 金堂 ほぼ正面の五重搭 とのバランスも素敵です。
想像以上に立派な建造物でした。
御朱印を頂きにお参りしました。
現在は、新型コロナウイルス感染拡大防止の為、金堂での御朱印は無く手前で頂けます。
建物の襖や、創り、五重塔の創りなどが圧巻です。
普通に参拝が出来る様になれば、またお参りしたいと思います。
金堂(国宝)入母屋造本瓦葺き。
正面7間、側面5間。
平安時代後期の建立。
豊臣秀吉の発願により紀伊国から移築したもので、慶長3年(1598年)から移築を開始し、秀吉没後の慶長5年(1600年)、豊臣秀頼の代になって落慶している。
『紀伊名所図会』等によると、当初は紀州国湯浅(現・和歌山県有田郡湯浅町)の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)本堂であった。
秀吉が紀州征伐を行った当時、湯浅一帯を支配していた守護・畠山氏の家臣・白樫氏が満願寺一帯を拠点としており、その居城である白樫城(満願寺城)と共に焼き討ちされる予定であったが、ちょうど醍醐寺座主・義演が応仁の乱で大内氏に焼かれた醍醐寺金堂の再建を欲していたこともあり、満願寺の建築物を秀吉に差し出すことを条件にして焼き討ちが回避された経緯がある。
部材には平安時代のものが残るが、堂が湯浅にあった鎌倉時代に改修を受けており、移築時の桃山時代の手法も混在する。
組物が統一されておらず、正面が出三斗、側面と背面が平三斗という異例のデザインを持つのが特徴で、平三斗は創建当時のもの、正面の出三斗は鎌倉時代の補修の際に付け加えられたものと考えられている。
立ちの高い入母屋屋根は近世風で、移築時の改修である。
内部には本尊・薬師如来坐像(重要文化財)と日光菩薩・月光菩薩と四天王像を安置する。
堂内は内陣と外陣(礼堂)の境に結界や間仕切りがなく、一体の空間とする点に特色がある。
そもそもの醍醐寺金堂の創建は延長4年(926年)である。
当初は釈迦堂と呼ばれていた。
五大力さんに行きました。
(18/12/01)国宝です。
平安時代後期の建立。
当初は紀州湯浅(和歌山県湯浅町)の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)の本堂を豊臣秀吉の発願により移築しました。
内部には本尊である薬師如来坐像(重要文化財)と日光・月光菩薩と四天王像が安置されています。
西国三十三ヶ寺巡礼の第11番札所です。
上醍醐にあった准胝堂が消失した後は下醍醐の観音堂で納経を行っています。
この金堂では、毎年二月二十三日に「五大力さん」と呼ばれる大法要が執り行われます。
この日は「五大力尊」の分身である「御影」を授与していただこうと、全国から多くの方が訪れます。
2018-01-28本堂の金堂(国宝)は、秀吉の命により和歌山から移築されたそうです。
薬師如来坐像の両脇時に、日光菩薩立像・月光菩薩立像が安置されています。
チケットは三宝院の受付で購入してください。
三宝院エリア、霊宝館エリア、伽藍エリアのセットで売られています。
国指定重要文化財 国宝指定 醍醐寺 金堂 からっと乾いた感じの金堂でした。
醍醐天皇の勅命により、延長4年(926)に建立されたそうですが、2度火災で焼失しているそうです。
現在の位置に建物は12世紀後半の建立とされる紀州湯浅の満願寺本堂を豊臣秀吉の発願によって本尊の薬師三尊像ともども移し慶長4年(1599)に再興されたものだそうです。
2014.11.13. 14:00 初来訪2017.05.26. 14:20 来訪2回目 投稿金堂は平安時代後期の建立ですが 豊臣秀吉の発願により 紀州湯浅の満願寺の本堂が移築され 秀吉没後の 関ヶ原の戦いのあった1600年に落慶されたトノ事ですソノため建物は 平安当時の建築部材が残っており 柱等に800年前の歴史を感じる事が出来ます また回廊の廻った 大きく堂々とした建物の建築様式は 入母屋造本葺きで 美しさも兼ね備わり 国宝に恥じないモノですまた堂内には 御本尊の薬師如来坐像(重文)が御安置され 薬師如来像を中尊とし 日光菩薩像 月光菩薩像の薬師三尊が奉安されています更に その両サイドには 四天王立像が守護する形で御安置されています広大な境内の中でも 金堂は醍醐寺の中心となる伽藍で 遠くから御堂を見た時の ソソリ立つ屋根の高さが とても壮大で美しく 印象に残りました そして今日も多くの参拝者や観光客が御詣りに来られていました❗
供奉藥師琉璃光如來。
名前 |
金堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-571-0002 |
住所 |
〒601-1324 京都府京都市伏見区醍醐赤間南裏町9−13 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
醍醐寺の本堂である金堂は、豊臣秀吉の命により紀州から移築されたものです。
本尊の薬師如来坐像は、病気を癒し苦しみを除く仏様です😊2023.10月。