奈良時代前半~平安時代にあった遺跡です。
この建物は何?って感じです。
この遺跡は住居跡で、この建物は復元住居Ⅰ、Ⅱです。
きっちり作りすぎていてほんとにこんなの建ってたのって感じがする。
特に屋根と扉に違和感が・・・。
奈良市のホームページによると「奈良時代から平安時代にかけて(8~12世紀)の集落遺跡」だそうです。
建物の中にあるのは便器ではなくカマドです。
わたしも初見は便器?でした。
(*´ω`*)お釜とかなべとかは出土していなければ置けないと思いますが、マキぐらい置いてくれれば・・・。
汚れて見えにくいですが、説明板にも書かれています。
(掃除してほしい。
)補足:観光マップではトイレがあることになっていますが無いようです。
休憩所はあります。
近いトイレは東へに200mほど、保食神社から細い道に入り尾山老人憩いの家横にあります。
奈良時代前半~平安時代にあった遺跡です。
道路に看板は出ているのですが、道路沿いから見ると田んぼの小屋かな?と間違えてしまいそうな感じで、全く遺跡には見えません(笑)保存の為にこのような形にしたそうです。
窓から中が見えます。
右側の大きい方が多分居住で、これ又多分かまどのような物が置かれていました。
左側の小さい方が多分トイレで、便器らしき物が置かれていました。
間違っていたらすみません。
駐車場はありませんので、周辺の駐車場に止めて歩いて行かれることをオススメします。
観梅のついでに立ち寄ってみて下さい。
奈良時代前半~平安時代にあった遺跡です。
道路に看板は出ているのですが、道路沿いから見ると田んぼの小屋かな?と間違えてしまいそうな感じで、全く遺跡には見えません(笑)保存の為にこのような形にしたそうです。
窓から中が見えます。
右側の大きい方が多分居住で、これ又多分かまどのような物が置かれていました。
左側の小さい方が多分トイレで、便器らしき物が置かれていました。
間違っていたらすみません。
駐車場はありませんので、周辺の駐車場に止めて歩いて行かれることをオススメします。
観梅のついでに立ち寄ってみて下さい。
尾山代遺跡(おやみでいせき)は、奈良時代から平安時代にかけて(8~12世紀)の集落遺跡。
奈良時代前半から平安時代の土器、鍛冶の道具、鉄滓(てっさい、鉄くず)、漁網のおもり、土馬などが出土した。
古代の月ヶ瀬には平城京の寺院のため木材をとる杣(そま)があり、この遺跡は杣の人々の集落であったと考えられている。
名前 |
尾山代遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
2月9日の帰り道に立ち寄りました。
看板の奥を見ると小高い丘がみえるので、細い道を奥に行きます。
突き当りの左側には休憩場の建物があって、建物の側に数台の車が止められるスペースがありました。
階段を上がると二棟のタテモノがありました。
どちらも窓には金網が取り付けられて、そこから中を見ることができました。
尾山代遺跡(おやみでいせき) は1987年3月 県史跡指定されました。
尾山代遺跡は古代の集落(邑:むら)跡。
邑は北風を避けて日当たりのよい山の南斜 面に3段に宅地造成をして作られていました。
上段に地面を掘り込んで作った竪穴式住居と、カマドをつくりつけた作業小屋、 中段にはいく度か建て替えられたやや大きな掘建て柱建物と、食料を貯蔵した穴(土壙)が見つかっています。
下段に もごみを捨てた穴や、建物の柱穴、抗列が残っているそうです。
ここから食器として使われた土器類(須恵器、土師器)や、漁網の おもり、鍛冶の道具や小刀・釘などが出土したそうです。
住居内で小鍛冶をしていたのではないかと言われています。
建物の奥は広大な茶畑がありました。
(いろんな物を参考にして書きました)