道中のつづら折りの道が斜度が急な事もあってかなり厳...
吉野の山奥にこんなに雰囲気ある神社が鎮座しているとは。
小さいですが存在感すごい。
建物は重要文化財ばかりです。
秀頼寄贈の籠がさらっと置いてある。
駐車場はほぼないに等しいので徒歩で訪れるのがいいかも。
車で行くと置き場所もないですが道が狭くて急坂で運転技術かなり必要です。
少なく見積もったとしても、安土桃山時代から存在する神社です。
境内に豊臣秀頼公が寄贈した神輿太鼓があります。
雨上がりの苔生した屋根からはモクモクと湯気が登っていました。
子守の神様と命名されていますが、非常に神々しい雰囲気です。
地元の方が早朝から清掃始め、メンテに励んでおられました。
本当に癒やされる場所です。
吉野の上千本と言われるエリアの奥、金峯山寺をとうに過ぎ、金峯神社に着く手前にこの神社はあります。
そんなに知名度あるスポットではありません。
しかし、そうであるからこその非日常感。
神社の境内に入ると、長方形の中庭を取り囲むように、本堂等の建屋が配置されるかなり面白い造りです。
観光地化された感じは全くなく、訪れる人はまばら。
しかしこの静寂さに加え、四季を存分に感じさせる花々、モミジなどの木々。
この吉野には、実に多くのお寺、神社がありますが、私はここが一番。
求めたい癒しは、ここにありました。
別の名を子守宮と呼びます。
主に天乃水分大神を祀っております。
春の吉野桜の季節には境内で枝垂桜が咲きます。
上千本まで上る必要がございますが、上った際にはご参拝することをお勧め致します。
奥千本に向かう途中にある神々しい神社でした。
国宝の本殿も素晴らしく、中央に位置する桜が陽を受け光輝いていました。
この景色が見られただけでも、奥千本を目指して良かったと感じました。
近鉄吉野駅からバスに乗り換えて中千本まで。
そこからまたバスに乗り換えて上千本まで。
このバスの待ち時間が約1時間だったので、私は中千本から奥千本までを歩いて往復しました。
決して歩けない訳ではありませんが、長距離になる為結構疲れました。
神社は上千本から奥千本へ向かう途中にあります。
奥千本は殆どが山桜です。
吉野千本桜の奥にある水分神社です。
『みくまり』から『みこもり御子守り』となり、子守の神様でもあります。
社殿は口の字の造りで、中には神秘的な空間です。
重要文化財の「楼門」(ろうもん)をくぐる。
参拝は右まわりで行います。
まず、小さめのお社が目に入ります。
大峰鎮守三十八諸神の一つ、大神社です。
大峰奥駈道中にこう言うお社が38あります。
修験者は山に入る前に道中の安全祈願をします。
特にしんきゃくの守護神という位置付けです。
そして、重要文化財の三殿一棟造りの本殿・拝殿・幣殿があります。
三殿一棟造りとは、3つの社が合体している造りで屋根が一つ後ろの壁も一つ。
こういう神社建築はここだけで大変珍しいものです。
その向こうの幣殿には子守大名神をお祀りしており、子授けの神、安産の神、こどもの守神、特にお母さんと子供をお守りする。
両脇に神輿があるが右手の神輿は1604年慶長9年に豊臣秀頼公が社に奉納したもの。
左の神輿はコピーだが江戸時代のもの。
ここの社殿が全部1604年当時の建物で豊臣秀頼公が再建したのは、豊臣秀吉がなかなか子供が授からず吉野へ来て祈願したところ、57歳でようやく淀君との間に産まれたのが秀頼でした。
その縁を持って豊臣秀吉が社殿の再建にのりだしました。
秀吉が亡き後は申し子である秀頼が社殿を再建した当時の建物である。
これらを取り囲むように向こうには拝殿があり、予祝行事を行う舞台でもある。
真ん中の水分の大神に対して4/3 御田植祭には田男と牛が昔の農機具と昔の言葉で1年間の農作業を演じ、今年も過不足なく水を供給して下さい秋には豊作となりますようにと一年間の農作業を無事演じる事でお祈りします。
ぐるっと一回りしてくると、門の側には江戸時代に作られた西行法師の像がある。
楼門からぐるりと狭い土地に向かい合わせに建物が並ぶが、本殿は山の斜面に、拝殿は崖造りになっており後ろはストンと奈落の底…吉野山は山の峰に造るため崖造りの家が多い。
三軒一棟造り社殿(宮司さんがお話してくれましたが神様の名前が難しくて💦)真ん中だけが一軒社(一部屋)両脇に獅子。
これが水分神社。
雨の水分の大神(あまのみくまりのおおかみ)、分水れい、水分山(みくまりやま)に降った雨を四方に分配する田畑に灌漑用水や生活用水、水を司る神。
右が三元社(3つの部屋がある)俗に子守の宮。
真ん中がしゅさいじん、たまよりひめのみこと、向かって右があめのよろずたごはちたてん?(姫)向かって左にはあめのよろずたごはちたてん?の子供にあたる、にぎのみこと、この三神をお祀りしてるのが俗に子守の宮という。
向こうにも同じく三軒社、子守若宮(巫女神様)たまよりひめのみことの子供にあたる。
両脇にたかみむすびの神と、その子供のすくなひこの神、これはついしんと言って両脇に従えてるという造り。
水の神様をおまつりする水分神社を真ん中にして、母と子を祀る子守の宮と、子守若宮の三軒一棟造りとなる。
♡水分神社では、神前読経(お経をあげる)でも良いのですこれが吉野山。
こちらの本地仏は子守地蔵菩薩。
仏様が仮の姿で神様として現れる。
子守三重権現こもりさんじゅごんげん?神様か仏様かどちらとも言えない神。
俗に子守明神と言います。
なので、お経をあげても良いし、二礼ニ拍手でなくても合掌でも構わないとのこと。
重文で連棟式建築様式春日造の社殿を三社横一列。
祭神は天水分神で国宝玉衣姫命坐像があるそうです。
延喜式神名帳に記載されている大和国吉野郡の式内社。
村社。
主祭神:天之水分神祈雨神祭85座の1つ。
大和国の四大水分神社の1つ。
豊臣秀吉が1594年に当社で子授けを祈願し、秀頼を授かったと伝わります。
本殿、拝殿、幣殿、楼門、回廊は国指定重要文化財となっています。
21/4/7 参拝。
吉野周回道路を車で走っていて鳥居が目に入り、ちょうど駐車スペースがあったので参拝出来ました。
石段を登り鳥居をくぐり楼門の先には立派なしだれ桜のある境内。
崖に本殿が3社並んで建っている、他には見ない造りです。
祭神は天之水分大神。
分水嶺の社によく祀られています。
ここは吉野川と大和川の分水嶺なのです。
社殿は安土桃山時代の建立だそうですが派手さもなく、落ち着いた荘厳さを感じます。
この急峻な山頂に立派な社がある事自体、驚きを感じ得ないのです。
朝早く訪れました。
こじんまりした神社ですが、中に入ると静粛な雰囲気で、自分自身、荘重な感じになりました。
建築様式や雰囲気ともに素晴らしい神社御朱印は、たまたまこの日は貰えましたが普段は無人なので御朱印目当ての方は注意ですあとバイクで行きましたが、道中のつづら折りの道が斜度が急な事もあってかなり厳しいので初心者の方や大型バイクの方は要注意で。
こちらに来るまでの道中はとても狭いので初心者の方や大型車などは注意が必要です。
こちらには駐車場もありませんので邪魔にならない場所へ止めて素早く参拝しました。
建物も立派で神社内はとても静かで良い空気が流れていました。
大和の四大水分神社の一つ。
どこの水分神社も素晴らしいです。
歴史、雰囲気、建築。
でも吉野は少し手入れが大変のようです。
気候が厳しく交通不便。
その分特別神聖な感じがあります。
水分(みくまり)が(みごもり)に転じて安産の信仰にも発展しているようです。
私は境内に置いてあるフクロウの木造が好きです。
そ。
重厚な雰囲気が漂っています。
202011251230拝観料¥0歴史を感じる、静かな場所。
平日は訪問客が少なく、ゆっくりと見学できます。
無料。
国の重要文化財の建物群。
葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきた。
また、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めている。
宣長の両親の子守明神への祈願により本居宣長が授けられたといわれている。
豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。
現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたものである。
作事の奉行を務めたのは豊臣家臣で尼崎郡代の建部光重。
2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
『続日本紀』の文武天皇2年(698年)4月29日条で、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したとの記述である。
当神社は、元来は吉野山の最奥部、吉野町、黒滝村、川上村の境に位置する青根ヶ峰に位置したとされる。
青根ヶ峰は吉野川の支流である音無川が東へ、喜佐谷川が北へ、秋野川が西へ流れるなどの源流となる山で「水分 u003d 水配り」の神の鎮座地にふさわしい。
大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座した。
延喜式神名帳では「大和国吉野郡 吉野水分神社」として記載され、大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。
前防家が社家。
上千本の要所。
歩いてお参りに行かせていただきました。
大変美しい神社です。
ただし私の感性で言っていますのでそのあたりは来訪者方々それぞれ感じ方は違うでしょう。
一見の価値あり。
静かで見応えがある。
行きにくいのが難点か。
でも、それだからこそ、この雰囲気なのだと思う。
ここまで行くのは大変ですが、楼門をくぐると、神聖な空間が待っています。
行った人しか判らないでしょう。
吉野訪問の際は、必見。
現在の社殿は、豊臣秀頼建立。
決して古いものでは無いのだが、他の歴史ある寺社より古く感じる。
小じんまりした敷地を、四方社殿が囲み、中庭に桜などが植えられている。
このような造りの神社は、私には初めてで、何とも云えない厳かな印象を持った。
二度目に拝殿した時も、その印象は変わらなかった。
子授け祈願に行きました。
祈願をお願いしたら、感じる事がありその通りに子供を授かりました。
安産祈願をして頂き陣痛がきたら紙片を飲むようにいわれました。
飲んだら本当にすぐに産まれました。
時間は掛かりましたが子授けと安産のお礼参りにも行きました。
出雲大社とセットでに行くと絶対に子供に恵まれると聞きその通りになりました。
社殿の造りも特徴的だが、パティオを思わせる境内が幻想的な雰囲気すら醸し出す、他の社とは一線を画するとても美しい神社。
時が止まったかのような錯覚すら感じる。
是非とも時間をかけて訪れたい。
2019年11月11日に行きました。
境内はさほど広くはありません。
金峯山寺からは距離があるためほとんど参拝者は居ませんでした。
その日は神社の方が居なかったので御朱印やお守りなど、頂けないのは残念だなぁと思っていたところ、住所氏名を書くノートが置いてありました。
御朱印が欲しい方はそのノートに記載し、お金(300円)を納めると後日、送ってくださる心遣いは有り難かったです。
初めての子供を流産してから様々な病院に7年間通い、全く子宝に恵まれず諦めかけた時偶然出会った神聖な場所。
藁をもすがる思いで祈祷してもらった3ヶ月後長女を授かりました、生きる希望ももらえました。
神様はいます、諦めず信じれば必ず。
静かでとても神聖な神社でした。
ご神職が不在でも記帳をしてお願いすると後日御朱印を送付していただけます。
桜の時期に訪れた。
散策を楽しみつつ、ここまで足を運ぶ人は多いようだった。
歴史を感じさせる素敵なところ。
神社の階段 右手に役行者の祠があり、数人の行者さんが真言を唱えられてました。
神社の中に入ると時間が止まったような空間で、すべてが古びてるのですが、造りのバランスというか入った瞬間素敵な神社だと分かります。
相当古い神輿も置かれてました。
なぜか境内の写真は撮り忘れ、帰りの山の上からの景色を写真に収めました。
蔵王堂周辺が写っています。
3月上旬でした。
金峯山寺の蔵王堂を過ぎて、30分ほど歩くとこの神社に着きます。
楼門を入ると、通常の神社にはない不思議な形式の神社。
世界遺産の一部ですが、かなり傷んでいる感じはします。
しかし、およそ400年前に豊臣秀頼が創建したという立派な社殿でした。
夏場でかなり暑かったので、観光客が少なくゆっくりと参拝できましたが、気候の良い季節に参った方がよいかもしれないです。
周囲を深い山々に囲まれた古刹。
世界遺産の建造物の中では人混みの少ない穴場だと思います。
名前 |
吉野水分神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0746-32-3012 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5850 |
評価 |
4.3 |
豊臣秀吉が祈願し子を授かったという由緒ある神社。
吉野の狭き山中、辿り着くか心配になったが、威厳あるお社を見た途端、今までの不安だった気持ちは消えた。
細く急な坂道が続くため、対向車に要注意です。