大和のイハレの若櫻の宮跡伝承の地(履中天皇磐余稚桜...
履中天皇、大和のイハレの若櫻の宮跡伝承の地(履中天皇磐余稚桜宮跡)に建っている神社。
此処には、ポケストップが、有るので、行っていました。
この神社は、池之内村を、御守りししています。
この神社は、昔から池之内村の護り神様です。
この鳥居のまえに、ポケストップが、有ります。
参拝兼ねて、来て下さい。
『稚桜神社』創祀年代は不詳。
神功皇后三年春正月、磐余を都とし、履中天皇も当地で即位したといい、磐余稚桜宮跡と伝えられる地。
御祭神・出雲色男命・・・物部氏の祖先・去来穂別命・・・履中天皇・気長足姫命・・・神功皇后 履中天皇磐余稚桜宮ではないかと言われています。
記紀によりますと、第十七代履中天皇は、各地に国司や国史を置き、諸国に意向を広く伝えるとともに、諸国の記録を残すようにするなど、国の仕組みを整え国家を安定させようとしたと記されています。
また、磐余池を造ったとされる一方、磐余市磯池で船遊びをしていると、杯に季節はずれの桜の花びらが舞い落ちたことから、宮名を磐余稚桜宮としたとされています。
この説話にまつわって、桜樹を等弥郷の清水の湧き出る泉のほとりに植えたという伝説があり、「桜の井戸」、桜井の地名の起こりにもなっています。
履中天皇磐余稚桜宮は桜井の南、安倍山城址北側にもあり、あちらには桜井の地名の起源になった井戸が二つありましたが、こちらは舟遊びをしたと言われる巨大な磐余池があります。
さて、どちらが本物か。
名前 |
稚櫻神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
住宅の中にあります。
周りはとても静かでゆっくりお参りできます。