三輪山の麓にあり神秘的な場所です。
令和4年5月28日第三回万葉ウォーキング「南山の辺の道(桜井から巻向へ)」に参加のおり訪問。
謡曲「三輪」で名高く、弘仁年間玄賓僧都の草庵であった寺とのこと。
ウォーキングの疲労の色濃く、腰掛けて先生のお話しを聞くだけで精一杯。
お庭などゆっくり見ることはできませんでした。
素敵なお庭があります。
山野辺の道を歩いてきて少し疲れたのでこちらで休憩させて頂きました。
静かな時間が流れていて、穏やかな気持ちになります。
山辺の道南ルートに面しています。
入口にお賽銭箱(?)があり、こちらへ志を納めさせていただいて、お寺に入らせていただきました。
お庭もきれいに手入れされており、休憩する場所もありました。
池には金魚が泳いでいて、池の水もきれいでした。
素晴らしい紅葉を楽しませて頂きました。
檜原神社の駐車場から500メートルもあるかないかの距離にあります。
静かな境内で癒されます。
桧原神社から大神神社に向かう途中の山野辺の道にあります。
この寺の僧や不動明王、滝の行場などがあります。
小さいながらきれいなお庭があります。
境内い入る場合は志納を納めます。
山之辺の道にひっそり佇む小ぢんまりとしているが、歴史を感じられる素敵な庭!休憩所もございますよ!
落ち着いた雰囲気のお寺です。
寺院内の参拝にはお志がいります。
境内では、お庭・石造建築物などが拝見できます。
のんびりと過ごせて、穏やかな時間でした。
ひっそりと山の辺の道に佇む古刹。
三輪山麓にある真言宗のお寺。
桓武帝、嵯峨帝に信任があった玄賓僧都が俗事を嫌って檜原谷に庵を結んで隠棲し、山岳仏教の拠点となった。
本尊は、もともと大神神社の神宮寺・大御輪寺が所有していた木造不動明王坐像で、重要文化財に指定されている。
檜原神社の近くにある小さなお寺だが、きれいにされている。
呼んでくださってるんだ奏でてくださってるんだ愛とは自然そんな時間を感じさせてくださる空間。
大物主大神と天照大神の息吹『玄賓庵』・・山の辺(へ)の道沿いにある玄賓庵、この石畳に覆われた参道は、ハイカーの皆さんが立ち止まり、カメラを構えられるスポットの一つです。
真言醍醐派玄賓庵三輪山奥の院、玄賓庵は平安時代の興福寺高僧、玄賓僧都(げんぴんそうず)が暮らしたところであり、この高僧は桓武天皇の病を治したことでも知られます。
桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら俗事を嫌い三輪山の麓に隠棲したという、玄賓僧都の庵と伝えられます。
世阿弥の作と伝わる謡曲「三輪」の舞台としても有名です。
世阿弥の作、玄賓庵(げんぴあん)と謡曲「三輪」。
三輪山の谷あいにひとりの僧都が世を捨て庵を結び仏に仕えて暮らしていた。
そこに美しい女が仏に供える樒(しきみ)と閼伽(あか)水を持って通ってくるようになった。
女は「秋も深まり夜寒になったので僧都の衣をいただきたい」と言うので、乞(こ)われるままに衣を与え別れの挨拶をする。
女の住まいを聞くと「三輪の里山裾近く」と言って姿を消しました。
不審に思った僧都があとを追って行くと大木の枝に先ほど与えた衣が掛けてあり、その女は明神の化身であった。
明神はここで姿をあらわし「神も人も同じように迷いがある僧都に接して仏道に縁を結ぶことができた」と語り三輪山の故事などを告げて消えました。
以上、桓武天皇の信任が厚かったが大僧都の位を授けられるのを拒み、三輪山に遁世した玄賓僧都をモデルとして謡曲「三輪」は展開していきます。
その筋書きでは、玄賓がここで三輪明神の化身である女性と知り合い、三輪の故事神徳を聞かされました。
この話は、今から千数百年前、平安時代初期、高徳僧で名医でも有った玄賓僧都が隠棲したと伝える庵。
もと三輪山の檜原谷にあったが、明治の神仏分離で現在地に移されました。
【思えば伊勢と三輪の神。
一体分身の御事。
今更何と磐座や。
】また、この玄賓庵では護摩壇が儲けられ、護摩から立ち上る炎と煙により、煩悩が焼き尽くされるといわれます。
護摩壇の奥には不動明王の姿が見えます。
燃え上がる炎は「天の口」であるとも言われます。
それは仏の智慧の象徴であり、そこから供物を食すそうです。
奉納された護摩木は供え物として焼かれ、煙が天に届くことで天は食を頂くことになり、代わりに人に福や幸を与えてくれるそうです。
玄賓庵ここは玄賓僧都が隠棲していた庵で、ここには重要文化財の木像不動明王座像が伝わっています。
謡曲で有名な「三輪」は玄質と三輪明神の物語を題材にしたものです。
玄寶は弘仁九年(818年)になくなりましたいつもは大神神社に登拝させていただくのだけれど最近はめっきり足腰が弱くなり今日は 桧原神社向かうことに。
狭井神社の横から山辺道を通って檜原神社へ 、、向かう途中に真言宗の玄賓庵というお寺に。
ひっそりとした 門構えに反し境内は綺麗に整えられていた。
是非一度足を運んでみて。
山の辺の道の途中で散策できるところです。
庭園、トイレもきっちり管理されております。
隠れた山里のお寺です。
既に亡くなられましたが、ご住職様のお母様が堂守としておられ、参拝者に優しく接しておられたのを懐かしく思い出します。
よく手入れが行き届いた、落ち着いた雰囲気のお寺です。
山辺の道を歩き疲れた頃、一息つくのにちょうど良い、静かで綺麗な寺院でした。
ガイドブックにあまり載っていない穴場です。
有名なお寺も良いですが美しく手入れされたお庭は拝観料を払っても立ち寄る価値があるのでは。
山の辺道にあります。
拝観料を払って入る価値のある、厳かなお寺でした✨
桓武・平城・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山の麓に一時隠棲したという法相宗学問僧玄賓(げんぴん)僧都の庵に由来する真言宗醍醐派の寺院。
かつて三輪山の檜原谷の現在地より24mほど上がったところあったらしいが、明治初年の神仏分離により現在地に移された。
玄賓と三輪明神とのやりとりが描かれた世阿弥作の謡曲「三輪」の舞台として知られる。
なぜ、と問いたくなる。
三輪山の麓にあり神秘的な場所です。
お寺なんですが神様の気配を感じます。
山の辺の道にある玄賓の僧都の庵と伝わる寺院。
檜原神社に向かう途中、一休みするのに丁度よく、手入れされたお庭には心が落ち着く。
2017.1.3
名前 |
玄賓庵 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-42-6447 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
お庭はよく手入れされていた。