宮内庁指定ヤマトタケルノミコトの陵墓です。
琴弾原白鳥陵(日本武尊陵) / / .
宮内庁指定ヤマトタケルノミコトの陵墓です。
被葬者:景行天皇皇子 日本武尊白鳥陵は日本に複数存在しているようです。
代表的なものとして、ひとつは能褒野(現・三重県亀山市)、ひとつは大阪羽曳野市、そして当地である白鳥陵です。
記紀によると、伊勢国能褒野で亡くなった日本武尊は白鳥となって三度羽根を休めたといい、そのとどまるところが現在、全て白鳥陵として治定されています。
能褒野の地で戦死した日本武尊は白鳥となって空に舞い上がり、当地で羽を休めて羽曳野市の古市で羽を休めた後、天高く昇って行ったそうです。
拝:2020/07/13
「畝傍の道」巻一の五の十三 御所市大字冨田日本武尊白鳥陵(やまとたけるのみこと しらとりのみささぎ)白鳥陵は関西に二基あります。
もう一基は、羽曳野市軽里3丁目です。
あちらは外堤と周濠(周回の環濠/堀/貯水濠)がきちんと残っていて整備されています(整備されすぎで周りはアスファルトや舗装路)。
白地の看板通り左へ曲がると最終もう一度左に曲がるとの看板がありますので見逃さないように。
まっすぐ行ってしまうと、お寺と民家で行き止まりです。
天満神社経由で、いよいよ秋津洲(蜻蛉島u003dあきづしま)中心地へ。
ヤマトタケルの白鳥伝説にある白鳥の飛行ルート能褒野→大和琴弾原→河内古市のうちの2つ目の陵墓。
レンタサイクルでまわったが、地元の方でないとたどり着けないような入り組んだ場所の更に奥にありました。
丁度工事中でした住宅のあいだの細い道をいく路上駐車です。
幅約28m・約45mの長方丘もしくは円墳。
日本武尊は東国での戦いの帰り道、伊勢の能褒野(のぼの)の地で亡くなり、その姿を白鳥に変え、大和の琴弾原(ことひきのはら)に降り立ったあと、河内の旧市邑(ふるいちのむら)に飛来したとされている(白鳥伝説)。
ここ、まわりに何もない。
降りる場所間違えただけじゃないかな。
門の前に到着と同時に、大量のヤブ蚊の総攻撃に合い退散。
折を見て、再度チャレンジしよう(^^;)
亀山市と羽曳野市にある日本武尊陵には鳥居も建って拝所らしいが、ここの陵は鳥居も無く扱いが陵墓参考地のようだ。
名前 |
琴弾原白鳥陵(日本武尊陵) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0745-62-3001 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
看板がわかりづらくてたどり着くのに苦労するかも。