▪大和古墳群を構成する一基です。
大きくはないですけど、のぼれる古墳です。
以前来た時に見かけた猫がいました。
住宅街を歩いていると唐突に古墳が現れる遠目から見ても古墳独特のポコっと浮き出た形状が確認できる直接のアクセスは難しいが、周囲には説明パネルがあり便利。
後円部の東側に美しいショウブの咲く池があります。
多分墓の周りを守る池の名残です。
20210508訪問。
大和古墳群には前方後円墳16基、前方後方墳4基あり、ほぼ全てが前期古墳で唯一この西山塚古墳のみが六世紀前半の築造とされている。
古墳の向きも他の古墳と違い北(今城塚古墳)を向いている。
あえてこの大和古墳群に造った事に意味がある。
崇神天皇陵と近く、当初は墓の管理は崇神天皇陵と手白香皇后陵と兼ねて管理されていたと記録されている。
衾田陵が手白香皇后の墓だとされているが、築造年代がまったく合わず西山塚古墳しか該当するべき候補は見当たらない。
継体天皇陵もまた異論続出。
何でやねん‼️ 🆖訪れた時は墳丘上の竹等が伐採されサッパリして墳丘上に上がれ、後円部の墳丘の廻りを川原石で丁寧に固めているのが間近かで見えた。
▪大和古墳群を構成する一基です。
6世紀の前半に築造された三段築成の前方後円墳です。
「山の辺の道」のコース上にあり、頻繁にハイカーが行き交う道沿いにある為敢えて探す必要はありません。
▪最近では、この古墳こそ「手白香皇女」の墓ではないかとの説が有力となっているらしいです。
近くに、陵墓に治定された西殿塚古墳(衾田陵) があります。
▪「墳丘にも登れ大和三山や下池山古墳等を一望できる」との謳い文句でしたが、晩秋にも拘わらず草木に阻まれ、墳頂に辿り着くことは出来ませんでした。
▪散策コースJRまほろば線/長柄駅⏩馬口山古墳⏩フサギ古墳⏩下池山古墳⏩西山塚古墳⏩西殿塚古墳⏩中山大塚古墳。
仁賢天皇の皇女で、継体天皇の皇后、さらには、欽明天皇の母親と言う、手白香皇女の御陵は、ここから程近い西殿塚古墳が宮内庁によって管理されているが、時代的には全く合わないので6世紀に製造された西山塚古墳こそが手白香皇女の御陵である事が通説となっている。
興味深いのは6世紀の人物である手白香皇女の御陵が何故、ここに築かれたのだろうか?仁賢天皇皇女ならば古市古墳群でも良いし、欽明天皇の母親と言う立場なら蘇我氏の飛鳥地方、又、継体天皇皇后と言うなら、継体天皇陵のある今城塚古墳近辺でも良かったはずである。
しかも西山塚古墳の埴輪片は、今城塚古墳の埴輪片とよく類似しておりわざわざ高槻市からここまで、運んで設置した可能性もあると言う。
後は、勝手な想像でしかないが、近くにある西殿塚古墳は、大和朝廷の創始者である崇神天皇陵と考えられていた時期があったようで、延喜式に、崇神天皇陵、手白香皇女陵で一つの陵戸を置くとある。
とかく皇位継承で問題が多かった継体天皇は、崇神天皇から始まる大和朝廷の後継者の仁賢天皇の皇女である、手白香皇女を皇后にする事で、大和朝廷と繋がっている事を内外に示すべく、崇神天皇陵の近くに自分の皇后陵を造ったのではないだろうか?さて、西山塚古墳の墳丘は、民有地の用な感じで果樹園となっており自由に立ち入りできます。
後円部の頂上に立てば、大和盆地も見渡せとても景色の良い所でした。
山の辺の道を歩くといつもここで池の金魚をみてしまう。
案内板がなければ、その向こうに古墳があるとは気がつかない。
直接、古墳まで行けるかどうかはわからない。
堀の中にいる金魚の大群がすごい。
赤い群れが竜のごとく泳いだり、ジャンピングしたりして面白い。
墳丘長114mの前方後円墳、築造時期は6世紀前半と推定。
古墳時代前期の築造の多い大和古墳群の中では、珍しく古墳時代後期の築造で唯一北側に前方部を向けている。
すぐ隣の西殿塚古墳が手白香皇女とされているが、手白香皇女が6世紀の人なので、こちらが真の陵墓ではないかといわれている。
墳丘は果樹園として利用されており、周濠と民家に囲まれていて近づけない雰囲気。
池や民家に囲まれてて、全貌がわかりづらい古墳。
墳丘長114mの前方後円墳、築造時期は6世紀前半と推定。
大和古墳群を構成する古墳のひとつ。
大和古墳群の中では、ほとんどが古墳時代前期の築造に対して、西山塚古墳は古墳時代後期の築造とされている。
埋葬者については第26代継体天皇皇后の手白香皇女(たしらかのひめみこ)とする説がある。
婿養子みたいな継体天皇も、よそ者みたいなところを結構気にしていたのかな?
名前 |
西山塚古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0743-65-5720 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
古墳が何処か分かりにくかった通りすがりだったので 次回はゆっくり回ってみます。