ニースと静かな歴史的な場所。
奈良盆地に数多くある環濠集落の中でも、大規模かつ完全なかたちで残されている貴重なものになる。
集落内の入り組んだ道や鬼門除けの「七曲り」など環濠集落の特徴が現存している。
集落北東部が、カクカクと曲がりくねっているのが俯瞰した地図でもよくわかる。
大きさは東西250m、南北200m。
環濠とは周囲に濠を巡らせた集落のことで、自衛のために濠と土塁を設けていたもの。
江戸時代以降は、環濠は主に灌漑用の水路・貯水池として使われていた。
しかし近年になり河川改修で水量が減って水質が悪くなり、多くが埋められてしまった。
城跡として訪問したのですが、実におもしろい。
大和国というところは、こんな感じの集落があったんだなという、驚きしかありませんてした。
きっと昔からこんな感じだったんだろうと。
おすすめです。
大雨が降ったら沈んでしまわないか、ちょっと心配にはなりましたが、この豊富な水が古代の大和国を発展させてきたんだなと思いました。
一時期ここを毎日のように自転車で横切っていました。
環濠集落であることは知っていたので賣太神社含めゆっくり歩いて見て回ろうと思っていましたが、そうする前に引っ越してしまいました。
ザンネン。
土塁は残ってない。
水壕もコンクリート製。
水がヒタヒタで濠沿いを歩くと亀が寄って来ました。
古事記でお馴染みの稗田阿礼が、この辺りで生まれたと伝えられています🧐 古代の下ツ道がこの環濠集落に接する様な形で通っています(もっとも、下ツ道を濠にした可能性がありますが)。
今も淀むことのないこの濠の水からは、長くて深い歴史を感じさせてくれます🎑🔱
この集落の中心となる賣太神社の前には5~6台駐車できる駐車場がありますので、ここに車を駐めて環濠集落をゆっくり眺めることができます。
その際には神社にお参りして駐車場を借りたお礼として賽銭を入れてあげてくださいね。
ニースと静かな歴史的な場所。
知られているように、メタ神社の笛があります。
小ジキのストーリーテラー。
麹は日本で一番古い本です。
ヴィレッジは堀に囲まれています。
(原文)ice and quiet historical place .there is Meta shrine whitch as known hieda-no- ARE; the storyteller of KOJIKI.KOJIKI is the oldest book in Japan. The villeage is surrounded by a moat.
かつて大和平野に数多く造られた環濠集落の遺構の一つで、概ね260m四方に濠が巡らされた築造当時の姿を、ほぼ完全な形でとどめる代表例として全国的によく知られていて、歴史の教科書にも載ってたりします。
文安元年(1444年)の文献に稗田環濠集落の存在を示す記述が見られるものの、ほとんど史料が残っていないので、詳しい形成過程が解明された訳ではありませんが、室町時代にはすでに現在のような形になっていたと考えられています。
戦国時代の争乱の中、農民たちが自衛のために造った環濠は、城砦的な機能はもちろん、環濠が有する貯水能力から、農業水利や治水上も重要な役割を担っていました。
集落の鬼門にあたる北東側の濠は、「七曲り」と呼ばれるクランク状の形態を成し、集落内に巡らされた道路は、いたる所に見通しがきかない曲がり角や三叉路を配置し、道路の端は行き止まりの袋小路にするなど、防衛を考慮した構造となっています。
造られた当時の時代背景を反映した、一種独特の姿を見せる稗田環濠集落は、豊かに水をたたえた濠が創りだす水辺空間と、落ち着いた佇まいの町並みが見事に溶け合い、ゆったりとした時間の流れの中に佇んでいます。
近年の発掘調査で藤原京から南北の伸びる三つの官道のうち、『下つ道』が見瀬丸山古墳から平城京の大極殿、羅城門に続いていることが確認されている。
古代の直線道路で、壬申の乱(672年)頃には日本書紀の記事にその名が見えます。
特にこの稗田あたりでは素掘りの側溝が検出されその規模が特に大きいことが確認されています。
古事記の編纂者の一人である稗田阿礼はこの稗田エリア出身であると言われています。
集落の南東あたり。
売太神社前に駐車場があります。
稗田(ひえだ)環濠集落。
周囲を堀が囲んでいます。
大和郡山市の史跡に指定されています。
名前 |
稗田環濠集落 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
ここは環濠が一周残っていて、かつ水量も豊富で、かつての雰囲気を感じられる集落です。