奈良民の待ち合わせ場所と言えばここ。
2020.8行基さんの銅像。
奈良市民には馴染みの待ち合わせスポット(なのかな?)教科書では習わないが、(もっとも奈良市の小学生の社会で地元の歴史ではチョイスされそうですが)凄いお坊さん。
簡単に言うと大仏建立に貢献した大僧正。
近鉄奈良駅の東改札口から地上に出てると噴水が見えます。
噴水の上に立ってる像。
待ち合わせに最適!
近鉄奈良駅前。
待ち合わせ場所にも最適です。
近鉄奈良駅の改札を出て階段を上がると行基様が出迎えてくれる。
聖武天皇より大仏造立の実質上の責任者として招聘され民衆の力を結集した聖人。
その表情は寛容の中に腹の座りを感じさせてくれる。
行基様のお出迎えを受けれるなんて、なんとも奈良らしくありがたい。
○日○時、近鉄奈良駅、行基さん前集合~!みたいな…。
奈良の西郷隆盛像みたいなもの?、ある意味、奈良らしいというか…。
そういえば、奈良って目立った待ち合わせ場所がないのかもね。
近鉄奈良駅も東向商店街も、東大寺も変わったけど、行基さんは変わらず佇んでおられます…。
今から1300年程前に東大寺の建立に当たり勧進役として活躍された高僧の行基上人の像です。
奈良時代の僧と言えば鑑真さんか行基さんですが東大寺の建設時期には既に80歳と高齢だった事もあり完成半ばで亡くなっています。
その後に鑑真和上によって東大寺にも戒壇が設置され戒律制度が急速に進みます。
噴水地獄に耐える僧にも見えるかもしれませんが慧光菩薩(法然上人)などと同じ諡号が菩薩の偉大な方です。
お墓も生駒市有里の竹林寺にあります。
行基(ぎょうき)菩薩の噴水。
大勢の信者とともに行基は東大寺建立に尽力しました。
しかし、盧遮那仏開眼供養の折には既に亡くなっており、行基が大仏様の晴れ姿を見ることはありませんでした。
東大寺には四聖(ししょう)と呼ばれる方々がいます。
行基はそのひとりに数えられています。
・本願の聖武天皇(構想)・開基の良弁(ろうべん、初代別当)・勧進の行基(造営)・導師の菩提僊那(ぼだいせんな、開眼)
奈良駅前だとよく待ち合わせでここを利用する方は多いと思います。
像の人物は日本でも有名な高僧の方です。
ここの前にお坊さんがいたりする事もありますね。
私はここで待ち合わせする際はこっそり像の方へと一礼しています。
渋谷のハチ公と同じ位置付けですね。
いったい、いつからあるのだろうか…ずーっと変わらず近鉄奈良駅前を見まもり続けて下さってます!無くさないで下さいね。
行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日)1,、奈良時代の日本の僧。
寺と僧侶を広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された。
そして行基集団を形成し、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所、国家機関と朝廷が定めそれ以外の直接の民衆への仏教の布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず困窮者のための布施屋9所等の設立など数々の社会事業を各地で成し遂げた。
朝廷からは度々弾圧や禁圧されたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返した。
その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。
この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。
近鉄奈良駅を地上に出たところで私たちを迎えてくれる行基さま。
東大寺四聖の一人、奈良の街造りに多大な功績のある僧侶に一礼して奈良の散策をスタートしてみてはいかがでしょうか。
奈良民の待ち合わせ場所と言えばここ。
パフォーマーや路上ライブ、托鉢から色んな人がいる。
老若男女を見守ってきた行基さん。
これからも大切に後代に引き継いでいってほしい。
数千数万とも云われる人々を率い、東大寺建立に貢献。
のみならず民衆のために、その他の寺、橋、港、溜池などを各地に造ったスーパー僧侶❗️大仏参拝前に、合掌。
待ち合わせによく使います。
噴水になっているので、少しは涼しいかと思います。
よくイラストを描く人やストリートミュージシャンなどがいます。
おそらく日本の僧侶のなかで最も有名な人のひとり。
奈良の超有名寺院だけではなく、隣の大阪の古寺にも、この偉い人創建と伝わるところがいくつもあります。
しかし、この像のまわり。
なんか年々にぎやかになってる感じがします。
1990年頃は、この高僧だけが目立ち、「ぽつん」と感がまだあったのですが。
学生の頃から、奈良で寺社を訪ねるときは、いつもここが集合場所でした。
近鉄奈良駅を降りて、駅前に立ち、誰でも目にするのがこの行基像である。
行基の誕生は668年だが、その5年前、日本(倭)は白村江の戦いで大敗北を喫する。
天智天皇は外国よりも国内整備がまず第一と気付いた。
各所に防衛網を築き臨戦態勢を敷いたが、日本の変わり身は早かった。
敵だった唐と国交回復を図ったのだ。
そして8世紀がやってくる。
彼は一言で言うと僧でもあるが大実業家でもある。
豪族や一般民衆と手を組みあらゆる社会事業を手がけていく。
灌漑、架橋、寺など枚挙に暇がない。
そして大仏。
行基ほど日本や日本人のために真に身を挺した人はいない。
行基菩薩といってもいいすぎではない。
享年81才。
今、近鉄奈良駅前にすくっと立つ自分の像があるのを行基は知っているだろうか?
近鉄奈良駅のシンボル行基さん。
大仏を建てる際に尽力されたので東大寺の方を向いています。
立っておられるお坊さんとお話しすると良いことがあるかも?
近鉄奈良駅が奈良で最も栄えていたように思っており、かなり前に来たときは、それなりに華やかさや賑やかさを感じた記憶がありました。
たぶん、長期間にわたり建物や広場の改装等をしなかったので、全体的に古ぼけたイメージになっています。
JRが、国際観光都市の玄関口的なイメージに大改造したので、比べるとみすぼらしい雰囲気です。
近鉄も業績好調になりつつあるので、ハルカス波に投資をしてほしいです。
就在近鐵出口。
近鉄奈良駅を下車し、地上に上がると清々しい水音。
行基さまを称える噴水の水音です。
奈良に到着する度、この水音でさらにこの地に降り立った臨場感に満たされます。
ここの前で僧侶がたまに托鉢をしているみたいです。
少し入れときました。
東大寺と大仏は行基さんが聖武天皇と共に作ったのですが、完成する前に亡くなったそうです。
(以下、日本経済新聞2016/6/18より)この奈良駅前の行基像は3代目だそうです。
初代と2代目は、風雪などで傷んだり、心無い人に壊されて交換したんだそうです。
そして、この像と同じものが他に2体あるそうで、霊山寺(奈良市)と九品寺(奈良県御所市)にあります。
スペアとして2体作成したのですが、当時の奈良市長がせっかくだからという訳で、親交のあったゆかりの寺に寄贈したそうです。
この3体とも東大寺の方向を向いているそうです。
名前 |
行基菩薩像 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
子どものころから奈良市民の待ち合わせ場所として「行基さん前集合」と待ち合わせ場所になってました。
行基さまは近畿地方を中心に有縁の地とされる土地が存在していて大仏建立されたとされてます。
奈良をのんびり散策の時は行基さまの縁のお寺巡りも奈良を満喫するコースかと思います。