通法寺跡の説明板から歩いて行けます。
やや山を登った果樹園だった?林の中を通り過ぎ少し拓けた所の小山に廟所が有ります。
扉の先に石碑はない模様ちょっと手前は入組んでいるので壺井八幡宮か通法寺跡辺に駐車して歩いた方が確実それ程険しくはないですが虫や蛇に注意源義家、wikiでは武勇に優れ奥州の反乱を関東武士を率いて平定し後の鎌倉幕府武士政権の基礎を築き源頼朝はその子孫ですが、民間伝承では罪深い人物伝も残っています。
京都からは大分遠く寧ろ楠木正成の活躍した根拠地から近く。
源頼義が建立した通法寺跡には、頼信、頼義、義家の河内源氏三代の墓が存在する。
平安時代や鎌倉時代の武将の墓はあくまで伝承に過ぎなかったり、後世の供養塔の類が多いが、この墓所は本物のようだ。
こういうものが現存するのは、奇跡に近い確率と言っていいかもしれない。
もちろん、墓碑や石垣は後世に整備されたものである。
女性1人で行くのは昼でもお勧めしません。
とにかく蚊が多いので長袖長ズボンで行くことをお勧めします。
私は半袖半ズボンで行ったので1分もいれなかったです。
菩提寺で近くにある通法寺の住職の墓が並んでました。
頼信と隆光の墓行き方が分からなくてとても暑かったのでリベンジで3ヶ月後の今日再度訪問しました。
行き方下に書いてます。
通法寺跡から、東に向かうと案内板があり、斜面の階段を登るとあります。
階段付近にスズメバチがいるかもしれないので、要注意です。
通法寺跡から、150メートルぐらい。
徒歩でどうぞ。
京都で亡くなり、ここで埋葬されたそうです。
たどり着くまで少し登ります。
▪️アクセス近鉄南大阪線/阿倍野橋駅③準急にて上ノ太子駅下車、南口改札口(阿倍野橋方面側改札)より徒歩30分弱。
復路は金剛バス、上ノ太子駅行または喜志循環系統/喜志駅行で・・・。
いずれも古市駅・阿倍野橋駅へ連絡。
▪️散策コース①通法寺跡 ②源頼義墓 ③源氏館跡④源義家墓 ⑤源頼信墓 ⑥御嶺山古墳。
八幡太郎義家公のお墓壺井八幡宮より程近い小高い山の上にあります。
八幡太郎(源)義家(1039~1106年)とは源頼義の長男として、河内源氏の本拠地である河内国石川郡壺井(現・大阪府羽曳野市壺井)の香炉峰の館に生まれる。
幼名は不動丸、または源太丸。
七歳の春に、山城国の石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と称す。
引用第56代 清和天皇より6代後 多田大権現 源満仲より3代後鎌倉幕府 源頼朝より3代前室町幕府 足利尊氏より9代前。
通法寺跡の説明板から歩いて行けます。
墓の入口にも駐車スペースがあるそうです。
かなりの急斜面を登ります手すりはありますが、落ち葉が沢山落ちていますので滑ってしまわないよう足元に注意して下さい。
小高い山(丘)を登ると源義家のお墓があります。
お墓は墓石はなく木のようです。
源氏三代の墓所。
少々上った場所にあります。
河内源氏の地である羽曳野市壷井、三代墓( 源頼信、頼義、義家)は大切にお守りされている。
三代目義家は中でも八幡太郎義家といわれ、前九年および後三年の役で活躍した。
彼等は頼朝、義経等の4~6代前の直系のご先祖様である。
我々の世代にとっては正に少年期のヒーローであり、最初お参りした時は感動で心身共に震えました。
敬🌹
静かな佇まいです。
大正年間に補修したという石碑があり、古いとはいえ形は保たれています。
東国における武門の習いを整備したといわれるなど武家の棟梁、武家の始祖とよばれ、鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏の祖先に当たる人の墓とは思えない。
別に特記する事項なし。
山を少し登った所にある源義家の墓。
名前 |
源義家墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.9 |
11月に行きましたが一面落ち葉に覆われていて、歩きづらいほどでした。
墳墓は立派で小高い丘の上にあります。
人っ子一人いない中で眺めてると、心がザワザワしました。