松原市の氏神さまとして親しまれている。
住所は大阪市東住吉区になるのですが、ここを少し外に歩けば松原市です。
この神社の名前が、「河内天美」の由来になっています。
大きな楠が立っていて、厳かな感じがします。
大和川の南にありながら、大阪市にあるという由緒ある神社です。
立派なご神木が迎えてくれます。
土曜日の昼に訪問。
誰もいなくて御朱印貰えずでした。
開運松原六社参りのひとつ鎮座地が大阪市なのに開運松原という御神木がひと際目を引きます。
大阪から松原市に入って直ぐの大和川沿いに位置する結構大きな神社です。
書物に大同年間(806年~809年)の創建との説があるが不詳ですと記っしてある、一説によると歴史はもっと古いらしい。
「許曽」は新羅の言葉に由来するとされ渡来人が先祖を祀ったのが起こりではないかとされているらしい。
現在この地域は松原市ですが大和川付け替え前は大阪の矢田村の一部だったようです。
矢田には古い寺社が多く昔の矢田村の権力と隆盛が思い浮かびます。
1200年程の歴史がある神社のようです。
駐車場もあり参拝しやすいと思います。
本堂も立派ですが、御神木のクスノキが素晴らしいです。
樹齢500年とも言われてるようで、触れる事もできます。
クスノキ推しなだけではないですけど…。
沢山の方に見て頂きたいですねぇ。
素晴らしい。
触れて、パワーと癒やしをいただけた感じがしました。
松原6社の一つ。
正月15日までは、六社めぐりを開催しています。
六社をめぐると干支の置物が貰えます。
こじんまりとして地元の人達に愛されている神社です。
大和川の南に鎮座、楠木の巨木が境内にあり、立派な神社です。
行基の石碑も、あります。
今年も行ってきました!松原6社参り!今年の記念品は当然、牛です!
歴史は古そうで、敷地は大阪市内であるが、松原市の氏神さまとして親しまれている。
由緒ある神社。
恵比須祭も。
おまいりでご利益をいただきましょう。
日ごろ整理整頓されているので良い環境なか、お参りができています。
感謝です。
開運松原6社参りの一つ。
おみくじが珍しく自販機タイプで200円をゆっくり投入します。
御朱印は300円。
駐車場もあるので車で来る事も可能です。
ここまで来たら松原6社を巡って下さい。
御朱印をいただきに参拝。
宮司の方が外出されてる事が多いので事前連絡が吉。
境内には立派な楠が沢山あり気持ちのいい場所です。
境内から南へ約630mの参道は、松原市に突き出るようにある東住吉区であり、その境界には歴史があり興味深いものです。
開運松原六社参りのひとつ。
素盞鳴尊・天児屋根命・事代主命を祭神とする。
古くは阿麻岐志の宮ともいい、天美の地名の由来となった古社である。
創建は平安時代初頭の大同年間(806~809)と伝えられる。
10世紀前半に、当時、祈年祭にあたって国家から幣帛をうけることができた由緒深い延喜式内社にも定められた。
境内には、明治初年まで天見山の山号を持つ神宮寺があった。
南および東に建つ門は同寺の山門である。
拝殿前の一対の狛犬の台座に「天見山」「阿闍梨快道之代」「文化四年九月」の銘があり、社僧が文化4年(1807)に建立したことがわかる。
手水舎の東側には「行基菩薩安住之地」の石碑が建っている。
江戸時代には、同地に奈良時代の高僧である行基が居住していたという伝承があった。
神社北西の大和川に架かる橋を行基大橋と呼ぶのはこのためである。
拝殿前には、注連縄石が建っており、若宮春隆宮司が日露戦争後の明治40年(1907)に、天美や現大阪市東住吉区矢田より出征した氏子の人々を顕彰し、名も刻んでいる。
東門の「郷社阿麻美許曽神社」の社号標石〔昭和10年)の揮毫は、春日大社(奈良市)の江見清風宮司によるが、これは、明治時代前半に若宮氏が春日大社禰宜職から出仕したためである。
神社は矢田村の氏神であるので、大和川の付替後にも、松原市に属さず松原市天美西3丁目と天美北7丁目の間にある370mの道路(旧府道26号線)は、象の鼻のように細長く、現在も東住吉区矢田7丁目とされています。
矢田村氏神の参道として残されているのでしょう。
旧狭山西除天道川はこの参道の東側をジグザグに北上していたと思われますが、大和川の開削後は干拓されて、元の川は西除川として、浅香山の方向に付け替えられています。
現在の祭神は素戔鳴尊、天児屋根命、事代主命と一般に知名度の高い神様が並んでいますが、金剛寺本では1座とあり、主祭神名は不明です。
式内社調査報告書(河内国編)、381頁によれば、「神名帳考證」を引用して、主祭神を「中臣の祖、大小橋命の子で阿摩比古命(アマノヒコノミコト)であろう」と推定しています。
須牟地寺や中臣須牟地神社が中臣氏に縁が深いことからもわかるように、この辺りが中臣家の支配地であったこと、および神社名の許曽は尊称を意味することから、「アマノヒコを祭神とする説」は説得力があります。
一方「河内国式神私考」によれば、舊事記に見える「彦己蘓根命(ヒコミソネノミコト)」とする説があり、「河内国造の祖で、丹比の天見丘に葬る」(春原政包日記)とあります。
この説の理由には、「物部氏が滅びた後に中臣氏がこの地を占拠し、祭神を阿摩比古命に入替えた可能性がある」ということにあるようです。
先代舊事本紀巻第十国造本紀には「神武朝期に河内国造に彦己曽保理命が任命された」と見えるので、この神社を物部系の神社に分類する人があり、そこで上記のような仮説が考えついたのではないかと考えられます。
拝殿は文久三年(1863)建造のもので、本殿は独特の阿麻美造で昭和35年に再建されました。
樹齢500年の楠木の群は大阪市条例で保存樹林に指定されています。
歴史を感じる。
古事来歴に違わぬ気の清廉な良い土地の守り神様です。
お正月2週間限定で開催される開運松原六社参りの神社の1つ。
毎年、開運松原六社参りで参拝します。
大きな楠が好きでパワーをいただいてます。
セルフスタンプでした。
大きな神木があります。
名前 |
阿麻美許曾神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-331-0123 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai9shibu/higashisumiyoshi-ku/09027amamikosojinja.html |
評価 |
4.1 |
松原六社参りで伺いました。
境内は意外に広かったですね。
4枚目はいただいた御朱印、5枚目は六社参り記念の張り子のうさぎです。