桜や西行で有名なお寺で立派な造りです。
西行法師に関する報道を見て、西行法師終焉の地 奥河内の弘川寺に寄りました。
春は桜、秋は紅葉で有名な庭園が有りますが、庭園の紅葉は11月末にて拝観は終わってました。
それでも紅葉谷の赤い絨毯は趣があり、来年は見頃を御寺さんに事前に聞く様にします。
2022.11.25紅葉は西行堂の裏手と隣合わせにある紅葉の庭はまさに息を飲むほど綺麗でした。
駐車場(無料)のすぐ裏手にお寺があります。
本堂のお庭の紅葉も綺麗です。
西国薬師49霊場第13番札所。
境内はとても広く青もみじが美しかったです。
拝観料を払い、綺麗な庭園と西行記念館もオススメです。
桜がきれいです。
春、満開の桜の下で西行法師が往生された所です。
西行法師の資料館(西行庵)もあります。
西行法師終焉の地。
春は桜、夏の青葉、秋は紅葉それぞれの季節に彩りを感じる事ができる。
西行の「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」の句がピッタリはまります。
西行庵への道筋は趣があり、秋の夕陽の時間に訪れるのも良い。
数千本に及ぶ山の桜は西行を慕う似雲が西行の遺言通り丁寧に植えたとか。
また、西行の墳墓は似雲が発見し今に至り、似雲もその傍にひっそりと眠っています。
西行の思いと西行を思う似雲の思いが山を包み込んでいるようです。
須磨明石まで見て過ごしたと言う似雲の歌にもあるように天気の良い日には明石の海まで見る事ができる。
駐車場もあり、お山と西行記念館と合わせて見学されるのが良い。
真言宗醍醐派の仏教寺院。
2300首の和歌を遺した、西行法師ゆかりのお寺。
創建は役行者(665年)と伝えられ、その後、812年に空海によって中興。
その後、1188年に当時の天皇の病気平癒を祈願して成就した空寂、その空寂を慕って翌年1189年にこの寺を訪れ、この地で亡くなった西行法師。
そして、西行法師を慕って諸国を巡り、1750年頃にこの寺で彼の墳墓を見つけ、西行堂を建立して自分も庵を結び、ここで一生を終えた似雲法師。
西行堂から少し上に上がると平坦な場所があり、西行墳、似雲墳、後世の歌人が残した歌碑等が建ち並ぶ。
歴史が詰まっているスポット。
西国薬師四十九霊場で参拝しました。
ご住職から御朱印をいただきました。
応対が丁寧です。
駐車場は、整備されています。
秋になったら紅葉が綺麗だそうです。
住職が言っていました。
山間にある静かなお寺です。
ただ、鐘楼の横のお堂が蜂の巣になってます。
西行の最後の地、と話を聞き、訪ねました。
例年なら、桜満開の時期のはずでしたが、今年はとても早かったので、ソメイヨシノ、海堂桜は葉桜でした。
紅葉の時は、また素晴らしいだろうと思います。
少し山を登ると、そこに、西行の墓がありました。
山には、色々な桜が咲いていました。
少々ハイキングになりますが、、、自然豊かの中、静かな時間をすごせます。
この場所をGoogleマップで指定すると行き止まりになり急な坂をバックで戻ることになるので注意してください。
最後左折する少し先に駐車場へと続く道があります。
正規の道はそちらです。
御朱印はお隣西行記念館へ。
しすかでいい所ですが、山道が足元危なく疲れます。
西行さんの終焉の地として名高い場所を晩秋に訪れてみました。
早くから出家し、四国や東北を訪れ、最後は小高い丘に眠られました。
昌に穴場ですね。
ゆったりと時間が流れるなか、何時間でも居れます。
夕方に紅葉を見にいきました。
人が思ったより少なく落ち着いた雰囲気でした。
桜や西行で有名なお寺で立派な造りです。
大和葛城山の下山口として利用しました。
バスは1時間に1本なので、時間の確認が必要です。
桜の時期、紅葉の時期には人が多いのでしょうけど、他の時期には人が少なくて空気が澄んでいる感じがします。
本堂の造形美は素晴らしくバランスの良さが光ります。
右手を少し上がると西行堂が有ります。
なんとも雰囲気の良いお堂なのですが屋根が傷んで朽ち落ちかけています。
ちょっと痛々しい。
西国49薬師、役行者の札所です。
お寺に至る道路は比較的広くて運転しやすいです。
駐車場は二ヶ所あり、最初に目のつく方からは少し階段を上って山門に行かないといけません。
歩いて山門まで上るとその前にも駐車場がありました。
開基は役行者で、御本尊は薬師如来、西行法師終焉の地とされており、西行堂や西行墳、西行記念館(春と秋)もあります。
静かで雰囲気のよいお寺さんです。
北面の武士から出家した西行法師の終焉の地です。
詠んだ歌の通り春に亡くなったとのことです。
宝物館があります。
いろいろ逸話があり面白い人物です。
頼朝との逸話や伊勢神宮での歌など好きです。
なにごとのおわしますかわしらねどもかたじけなさになみだこぼるる。
ねがわくははなのしたにてはるしなんそのきさらぎのもちづきのころ。
わがふる里両親も他界して帰らなくなりましたが20才まで過ごしました。
空気も綺麗~春には桜が凄ーく綺麗です。
秋には紅葉も色づいて癒されます。
大阪府南河内郡河南町弘川寺めっちゃ綺麗に掃除が行き届いてます。
たくさんの人に口コミして頂き嬉しく思います。
皆様ありがとうございます。
初めて訪れた所で入り口の雰囲気から中お庭がとても素敵な所でした。
▪️ひとときなりと 西行墳の傍らに佇んでみたい との想いにて。
西行終焉の・・・に始まる 常套句蒲生町的コメントは省略します。
▪️弘川寺本堂の右傍らにある坂を少し上が ると西行堂が姿を現し、さらに歩を進め た中腹辺りの平地に西行墳があります。
その山側の縁には、ひそやかに~ 江戸期の僧似雲の墓が・・・。
静謐を湛えて厳かで侵しがたい雰囲気を 醸し出しています。
思わず何度も拝礼してしまう墳墓です。
これぞ古墳哉 !!▪️大河ドラマ/新平家物語にて故蜷川幸雄が 演じた、すがる我が子を縁側で蹴り飛ばし 出家を遂げる北面の武士・佐藤義清(後の 西行)の、あの鮮烈なドラマのワンシーンが 脳裏に蘇りオーバーラップして・・・。
▪️アクセス: 近鉄長野線/富田林駅より 金剛バス③河内線にて「河内」下車すぐ。
駐車場あります(2ヶ所)。
西行法師終焉の地。
願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃………だったかなぁ😸🙀? 静かな所でした。
鳥の鳴き声しか聴こえて来ませんでした。
🌸桜の頃、🌝月が綺麗に見えます🌜。
西国四十九薬師巡礼の第十三番札所。
西行法師の終焉のお寺として知られている。
本坊の庭園や西行記念館は春と秋の期間限定で公開されている。
河内国の龍池山弘川寺は、天智天皇四年(665年)、役行者によって修験道の霊峰葛城山の麓に開かれた寺院である。
保延六年(1140年)、鳥羽上皇の北面武士佐藤義清は23歳で妻子を捨てて出家し円位を名のり、後に西行とも称し、諸国を巡る漂泊の旅に出て、千載集に18首、新古今和歌集に94首入撰される等、約2300首の和歌を残した。
その西行は晩年、当山に庵居し、文治6年2月16日(1190年3月31日)釈尊涅槃の日に此の地で没した。
享年73歳。
十数年前に詠んだ「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」の歌のとおりの入寂である。
お参りさせて頂いたのは花の季節ではなかったのでひっそりとしたお寺です。
仏様と向き合うにはよいお寺だと思います。
宗派:真言宗醍醐派準別格本山天智天皇四年(665)、役小角の開基。
天武天皇五年(676)に天武天皇から山寺号が与えられたという。
弘仁三年(812)空海によって中興され、文治四年(1188)には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願した。
翌、文治五年(1189)には空寂を慕って歌人と知られる西行法師がこの寺を訪れ、この地で没した。
寛正二年年(1461)兵火により焼失したが、江戸時代に入り寛延年間(1747~1750)歌僧似雲がこの寺を訪れ、西行堂を建立している。
桜と庭が素晴らしい。
西行法師ゆかりのお寺。
最期をこの地で迎えた。
桜の名所でもあり、春は観光客でにぎわう。
桜の時期は特に魅力が増します。
名前 |
弘川寺 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0721-93-2814 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
紅葉情報11月20日6割くらいです。
去年初めて来ましたが今年は紅葉が遅いようです。
去年同時期にここの立ち入り禁止にされたお庭の最盛期は激絶景でした。
今年はまだ早かったですがグラデェーションが綺麗でした。
駐車場は寺の手前と寺の上(トイレ有り)にもあります。
ここは知る人ぞ知る紅葉の名所です。