いつも綺麗に掃除されています。
いつも綺麗に掃除されています。
座るところはないので散歩でぶらーと通る感じです。
バス通り沿いに一際異彩を放つ場所入って良いものか躊躇しちゃいました💦もう少しお手入れをされて頂きたいかも何せお墓ですし。
にぎたけんしゅう。
南北朝時代の武将。
2018年4月に訪問。
南北朝時代の武将のお墓。
読み方は「にぎた けんしゅう」とか「にぎた かたひで」と読むみたいで、「わだ」ではないようです。
楠木正成公の甥にあたり、最期は四条畷の戦いで戦死したようです。
死に際に敵将の首を噛んで離さなかったことから「歯神様」としても有名なようです。
和田 賢秀と書いて「にぎた けんしゅう」と読みます。
漢字だけ見ると「わだ」と読みたいところですが、「にぎた」だそうです。
名前の方は源秀(げんしゅう)と表記されている事もあります。
(墓所の石碑には「和田源秀戦死墓」と書かれています)楠木正行の従兄弟に当たる人物で、南北朝時代の四條畷の戦いで討たれたそうです。
東高野街道(旧国道170号線・大阪府道20号線)沿いにあり、入り口の横に「塚脇」のバス停があります。
(なお、東高野街道はこれ以北では国道170号線と離れて墓の堂古墳方面に向けて細い路地を曲がりながら進む道になります)墓所には(正行の墓所と同じように)楠が植えられていて、立派な枝ぶりを見ることができます。
あまり訪れる人も居ないので、道路ぶちにもかかわらず落ち着いた独特の雰囲気が味わえる場所だと思います。
なお、入り口には神域であることを示す注意札が四條畷神社名義で書かれています。
四條畷の戦いで楠木正行は戦死(自刃)するが、部下の和田賢秀はその後も単騎で戦い壮烈に戦死する。
最後は敵の首に噛みつき睨んで離さなかったという。
そこから歯の神様という伝説も生まれた。
今、勇者の墓所は、正行の墓所近くにひっそりと、しかし堂々と眠っている。
色づいたイチョウの葉が美しい墓所だった。
にぎたけんしゅう(和田賢秀)。
楠公父子に比べ、知名度は劣るが豪勇の士。
いつも薄暗いですが、中は落ち着いた感じで雰囲気あります。
名前 |
伝和田賢秀の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.5 |
和田の読みは「ニギタ」「ミキタ」と思っていたのですが、四條畷市のページには、「ワダ」とあって驚きました。
確かに、和田賢秀は、楠木正行公に従い、この地で戦死しました。
この墓所には、大きな楠木が沢山植えられて、賢秀の墓塔横にも、大きな楠木があります。
今も楠木(正行公)に寄り添っています。
この墓所を整備する時、そのように情をかけたのでしょう。
心に滲みる、良いエピソードだと思います。