予備知識や想いがない人は行かない場所。
谷地頭温泉から近いです(市電の谷地頭の終着駅から徒歩でもOK)。
函館u003d土方歳三終焉の地イメージで奉られてる場所も在りますが、漫画·流浪人剣心「北海道編」にも出てた碧血碑を巡り、函館での幕末の歴史を廻る地としてお薦めします。
地元の方や観光客に大切にされている史跡です。
旧会津藩士のために福島県が植えた木には涙を禁じ得ません。
高台にありますので、最寄りのバス停などからは上り坂をかなり歩くことになると思います。
途中神社を経由しますが、神社からも距離があります。
できれば碑の近くまで車で行かれることをオススメします。
(2021.11.22訪問)箱館戦争で戦死した土方歳三や中島三郎助父子をはじめ、北関東から東北各地、箱館での旧幕府脱走軍戦死者の霊が祀られています。
新政府軍に義があったのか、旧幕府軍に義があったのか、人それぞれいろいろな意見はあろうと思いますが、いずれもこの国を思ってぶつかり合ったものです。
彼らの魂に手を合わせてきました。
初めて訪れる方でもわかり易くする為に写真を掲載します。
虫が出易い季節は、長袖長ズボンか虫除け等にて対策されることをおすすめします。
また、駐車スペースは函館八幡宮の敷地なので、八幡宮参拝を前提に停めた方が良いと思います。
函館八幡宮のそばの山中にあります。
厳かな雰囲気を感じる慰霊碑でした。
91年頃行った際にポラロイドで撮ったものを接写したもの。
当時中学の頃は完全な佐幕派でこれを撮れた時はお出座しになられたと思って今も飾ってあります。
最後に行ったのは96年の夏。
足を踏み入れた途端。
目眩を感じたものです。
また挨拶に行きたいものです。
みんな斎藤一好きだよね?となるともう行くしかないでしょ?碧血碑函館山の中腹に十本刀や人斬りなど歴戦の猛者が集まったなんて胸キュンポイント高め。
わかりにくい場所にありますが、歴史を感じるので好きです。
土方歳三をはじめとする旧幕府軍の、箱館山で散っていった者たちのための慰霊碑。
交通至便も良いとは言えない、道のどん突きにある寺の一角に、周囲を樹齢の経た高い木々で囲まれ、ひっそりとした所にあります。
案内書きを読むと、なぜこのような場所に祀られているのか、多少理解できます。
翻って新政府軍の犠牲者は、函館護国神社のなかで祀られております。
それぞれの扱いも、感じ方は人それぞれで、幕末期の歴史の味わいの一つと言えます。
函館戦争後、賊軍として旧幕府軍の死体が捨て置かれた頃、不憫に思った侠客、柳川熊吉氏が死体を集めて弔ったエピソードには心動かされた。
赤い血が碧になる程、大義のためだけに彼らが戦ったかどうかは疑問だ。
いつの時代も御恩と奉公。
ギブアンドテイク。
実のところ、知行や禄、立身出世を心に戦ったに違いない。
しかしもし北海道独立が成っていたら今ごろどうなっていたか?考えるだけで一杯飯が食えるネタである。
いわゆる賊軍側のお墓。
この方たちの犠牲の上に今があると厳かな気持ちでお参りしてきました。
近くに護国神社があり、そちらには官軍側のお墓がありましたのでそちらにもお参り。
碧血碑は山の中にポツンと、護国神社の方はきれいな神社の側にあり、その対比がまた泣かせます。
幕府軍の戦没者慰霊塔です。
近くまでは車では行けませんので、少し手前の八幡宮神社の駐車場に停めて、山道を100m位歩いて行きます。
小さな公園と、東屋が有ります。
8月の初旬に訪れました。
山の中、登り道の途中で階段沿いに紫陽花が咲いていてとても綺麗です。
が、しかし季節と山の中ということから虫が多く、苦手な方は虫除けスプレーをしてから訪れましょう。
私は整髪剤をつけていたので蜂が飛んできたのがとにかく怖かったです。
刺されなくてよかった…そのせいか碑の思い入れが薄く、見たら「うん!帰ろう!(虫がすごいから)」という感じでした。
次はもう少し対策をしていきたいと思います。
函館山の中腹に、隠れるように建てられて、今もひっそり佇んでいる碧血碑。
敗者の悲しみが伝わってくるようです。
「観光客」はいませんが、真新しい供物がここを訪れる人々の気持ちを代弁していました。
危険を冒して祀ってくださった方、今までここを保ってくださっている方々、本当にありがとうございます。
義に殉じた人の血は三年経てば碧色になるという中国の故事に因んで名付けられた旧幕府軍の慰霊碑です。
2018.2.11谷地頭駅から20分ほど歩きました谷地頭温泉を過ぎるとより寂しい今でもそうなので建立当時は明治政府の目につかない所をわざと探したのかと思う位でした途中で猛吹雪に襲われ横の東屋へ避難しました夏は虫除けとアドバイス有りましたが冬は折り畳み式傘を持って行くのが良いかと吹雪いたら無理はしないことです。
幕末幕府と旧幕府軍での戦争で散った旧幕府軍を、弔った地です土方歳三さんも奉られてるそうですが、幕府に反旗を翻した旧幕府軍は、幕府の命令により、戦場のあちらこちらに放置されてたのを、幕府の命令に逆らいこの地に弔ったそうです、函館山の麓にひっそりとたたずむ碑は人気も無く静かにたたずみ眼下に海見渡せる場所に、幕府が悪いとか旧幕府が悪いとかは、解りませんがお互い様々な思いで北の地函館で、戦い散って行ったのでしょうね(u003d_u003d)碧血の碑に来る場合近くに神社有りますのでそちらに車等々置いて歩いて来るのが良いですよ、また駐車場にはトイレも有りますのでそれからけして軽装な服装はダメです‼️夏場は藪蚊凄いですよ、駐車場から少し歩いて汗ばんでるので、蚊の絶好の標的になりますまた靴もサンダルやハイヒール等々は歩きヅライですよ、
毎年、一度はお参りしてます。
新政府軍の戦士の方々、安らかにおやすみなさい。
歴史に興味がある人は訪れてみるのも良いかと思います。
鬱蒼とした木々に囲まれた場所ですのでスニーカー等の歩きやすい靴で出掛けてください。
行くのでしたら明るい時間帯がオススメです。
予備知識や想いがない人は行かない場所。
是非行ってみていろいろなものを感じ取ってください。
函館のドン突と云う場所に在り、人影も疎らな所ですが、函館の歴史を実感したいなら、ココは見ておくべき遺産です。
何回か訪れたことはあるが、現代でも結構奥深く感じる山の麓にある。
同じ函館山の麓でも、やはり官軍関係の墓所がある護国神社付近とは立地条件が全然違う。
当時、人目を避けてというか、こういうヒッソリした場所にしか建立させられなかったのでしょうね。
合掌。
八幡さんから徒歩で350mほど、階段で100m登ります。
碧血碑は明治8年5月に建立。
箱館戦争で旧幕府軍の戦死者を弔う慰霊碑です。
土方歳三や中島三郎助を始め、敗れ賊軍となりし幕府方の戦死者約800名を弔っています。
護国神社に手厚く葬られた政府軍犠牲者とは対照的に、寂しくひっそりとした場所。
碧血とは「忠義を貫いて死んで流した武士の血は3年経つと(宝石の碧玉の様に)碧色になる」との中国の故事に由来。
碑の裏側にある「明治辰巳、実に此事有り、石を山上に立てて以て厥の志を表す」は是非読んでほしい。
打ち首を覚悟して遺体収容を決意した函館の侠客柳川熊吉の碑にも目を向けてください。
心霊スポット?何も出ませんよ(草)清らかな心で弔ってあげてください。
ここは性別を問わず1人で行くことはやめた方がいいです。
そのため私は、毎年慰霊祭か五稜郭祭の時にお参りしています。
個人的には慰霊祭の時がオススメ。
様々な方からお話を聞けてさらに思いが深まりますよ。
日程が分からない場合は、函館観光サイトの「はこぶら」さんで問い合わせますと、本当に親切に教えていただけます。
名前 |
碧血碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.2 |
箱館戦争で破れた幕府軍の戦死者の慰霊碑です。
当時新政府から賊軍された幕府軍の戦死者を埋葬が許されず放置されたままであった。
それに見かねた柳川熊吉を中心に遺体を回収し埋葬しました、この慰霊碑が建てらたのは、明治政府が埋葬を許した明治7年8月に榎本武揚、大島圭介らが柳川熊吉と協力して明治8年5月に建てられました。