函館駅前から歩いて40分ほどの距離です。
新島襄 海外渡航の地碑 / / .
私の母校、同志社の創設者であります。
函館に来て、此処を訪れない筈がない。
鎖国の時代、国禁を犯してまで海外に行き、知識を吸収せんとする行動力、使命感、感服致します。
後に同志社大学を創設する新島 襄が、国禁を犯してアメリカへ密航を企てたのが1864(元治元)年、その岸壁に記念碑が建てられている。
(はこぶらHPより)
モニュメントが多い函館。
金森赤レンガ倉庫群を抜け海側に沿ってあるくと歩道内に小舟に乗った若者の碑があります。
同志社大学を設立した新島襄の碑です。
明治元年に函館湾内に停泊中の米国商船ベルリン号に小舟で渡り密出国した新島襄。
この時代の若者は行動力がすごいですね。
新島襄を知らなければ行く機会はないでしょう。
そして知っていてもここまでたどり着けるかわかりません。
地元の人に場所を聞いていきました。
観光客は1人も見当たりませんでした。
新島襄がアメリカへ密航した旅立ちの地。
石碑には新島七五三太(しめた)が船長から「ジョセフ」という名前をもらい、当て字で「襄」と改名したという話が刻まれています。
1時間ほどしか時間のない中、タクシーさんに行きたいところを告げて回ってもらいました。
「ただ石碑あるだけだよ~」と言われてしまいましたが、たぶんタクシーじゃなかったらたどり着けなかった気がします。
観光タクシーとして貸切したわけでもないのにも関わらず、函館の歴史や建造物の話を聞かせていただけて、写真を撮ってくださったりして、タクシーさんに感謝です。
大河ドラマ「八重の桜」で有名になった新島襄がアメリカへ旅立った場所。
細い路地の先にあるので前もって場所を調べておかないとたどり着くのは難しいかも。
外国人居留区跡の保税倉庫横にひっそりとあります。
赤煉瓦倉庫もいいけど、せっかく歴史的な場所だけに、新島七五三太の熱い想いをリスペクトしたい場所ですね。
函館駅前から歩いて40分ほどの距離です。
早朝5時半頃から、朝食が始まる6時半までの1時間を潰すため散歩に出ましたが、店は何も開いてないのでさっさと歩き、ポイントで写真を取ってという感じで朝市、摩周丸、金森倉庫等を経て海辺沿いを歩いていて発見。
函館は町中にこういう彫像やモニュメントが多いですね。
歴史と文化性を感じます。
新島襄の背後には緑の島が見えました。
以前は倉庫街の狭い通路を入っていくとひっそりとある、知る人ぞ知る場所でしたが、すっかり整備されて案内板なども出ていました。
1864年に新島襄がアメリカへ行くために江戸から箱館へやってきて、ここから出航。
上海経由で渡米しました。
海外渡航が禁じられた時代に密航を決意した新島さんの思いや、それを汲んで船に乗せてくれた船長の思いなど、感慨深いものがあります。
20161030, 오전8시 방문미일 화친 조약으로 시모타항과 함께 일본 최초의 개항항이 된 하코다테第一步가 되었던 히가시하마산바시(東浜桟橋)가 있던 곳
2013年、市立函館博物館で『新島襄と幕末の箱館』展というものを開催していましたが、そちらを見て驚きました。
新島襄、本名新島七五三太は、鎖国時代の日本から海外を見てみたいと図り、函館にやってきました。
函館にはわずか40日あまり。
新島七五三太は、ロシア正教会のニコライとも出合い通訳を一時していました。
密出国を相談しますが、ニコライには密出国は思いとどまるようにと説得されたようです。
しかし、ニコライの通訳をする中でますます出国の決意を固くし、多くの協力者を得て、人足のかっこうをして外国船に乗り、密出国していきます。
その密出国を助けたアメリカ船の船長は、七五三太を乗せたことをとがめられ、上海ですぐに船会社から船長を首になったそうです。
見つかれば協力者もろとも斬首という中を、渡航した新島襄、そしてそれを助けた協力者たちの胸中はいかばかりだったかと、この碑を見るたびに思います。
新島襄は同志社大学の創設者であり、妻は綾瀬はるか主演で、平成25年(2013年)のNHK大河ドラマ「八重の桜」で會津藩の砲術師範の家に生まれ、會津での戊辰戦争から京都に渡り明治の新たな時代を駆け抜けた、山本八重(新島八重)です。
新島襄がこの地からアメリカに渡航し、京都で山本八重と出会い、同志社大学を創設し、新たな時代を築いていくことを考えると、とても感慨深いです。
2013年、市立函館博物館で『新島襄と幕末の箱館』展というものを開催していましたが、そちらを見て驚きました。
新島襄、本名新島七五三太は、鎖国時代の日本から海外を見てみたいと図り、函館にやってきました。
函館にはわずか40日あまり。
新島七五三太は、ロシア正教会のニコライとも出合い通訳を一時していました。
密出国を相談しますが、ニコライには密出国は思いとどまるようにと説得されたようです。
しかし、ニコライの通訳をする中でますます出国の決意を固くし、多くの協力者を得て、人足のかっこうをして外国船に乗り、密出国していきます。
その密出国を助けたアメリカ船の船長は、七五三太を乗せたことをとがめられ、上海ですぐに船会社から船長を首になったそうです。
見つかれば協力者もろとも斬首という中を、渡航した新島襄、そしてそれを助けた協力者たちの胸中はいかばかりだったかと、この碑を見るたびに思います。
名前 |
新島襄 海外渡航の地碑 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0138-21-3111 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.5 |
あの時代たった1人で、法律を犯し、アメリカ戦に乗り込もうとした新島襄、その勇気を思い出させてくれる。