函館市八幡町にある亀田八幡宮を訪問。
心が洗われるような雰囲気、自然に囲まれて思わず深呼吸したくなります。
静かで落ち着く場です。
箱館戦争で旧幕軍が降伏を誓約した場所とされている歴史ある神社です。
社務所も立派。
御朱印は、予め用意された紙の御朱印で、料金も「お気持ちで」でした。
函館市にある神社。
明治初期、箱館戦争終戦の場所。
「少名昆古那命」(スクナヒコナノミコト)という古事記にある医薬の神様をまつる函館薬祖神社もある。
久しぶりの亀八祭。
ぱねーの一言。
みんな、待ってたんだよね‼️はやく、以前の様に気兼ねなく騒いだり、楽しんだりしたい。
屋台出店、半分しかないと聞いてましたが、かなりの賑わいでした。
子供たちも楽しんでました。
来年は、なるべく元通りの形で開催できれば、最高なのに。
函館ではかなり大きい神社です。
敷地内には2つの神社も併設してます。
駐車場がかなり広い。
御朱印を頂けます。
函館市民のパワースポット氏神様は名の通り八幡神であり、豊穣の神様戊辰戦争時、戦場にされてしまい社務所は焼かれたものの祠は残り、1869年5月17日には、榎本武揚らが近くの民家で新政府軍と降伏交渉を行った後、本神社を訪れ、降伏を誓約し、翌日五稜郭が開城となった場所でもあります。
函館は何回も来ているのに初めて伺いました。
函館戦争もここで終結したとか。
八幡宮通という道もあるし、歴史ある神宮のようです。
駅から土方歳三最期の地を通り真っ直ぐ進むと右手にあります。
この地で函館戦争の降伏式が執り行われたそうです。
9月の例大祭はとても賑わいます。
コロナが落ち着き再開できればいいな。
お正月以来、久しぶりに行ってみました。
夏詣と題して、風鈴がたくさん飾られていているのと、樹木が生い茂り日差しを遮っていて涼しげでした。
行って良かったです。
お正月やお祭りとは、また違った印象を受けました。
元旦の初詣の後 初めて行きました。
今回は夏詣です。
茅の輪をくぐり残り半年 無事に過ごせるように参拝してきました。
硝子や陶器の風鈴の音色に癒されました。
花手水も綺麗でした。
厄祓いに行ってきました。
一人3000円で予約無しでOKで、15分位で終わります帰りに御神酒と福豆とお札、お守りが頂けますよ。
前厄、本厄、後厄の3回は行くようにしましよう!
箱館戦争終結の地。
毎年元旦の初詣はここで、一年間の願い事をお詣りして、おみくじを引き一喜一憂します。
清々しい気持ちになれる神聖な場所です。
駐車場が広くて停めやすいんだけど雪で埋まりそうだった 除雪がしてあればもっといいかな。
新年のお参りに行くところでいつも人で溢れてましたが今年はコロナの関係上列はそんなに並ばずお参り出来ました。
箱館戦争講和の地で当時の弾痕も残されています。
歴史と格式を感じる事が出来る重厚なお社が鎮座されています。
御朱印はお気持ちで社務所で頂けます。
無料駐車場有り。
社格に相応しい規模の神社ですが、御朱印は書き置き対応でした。
亀田八幡宮(かめだはちまんぐう)は北海道函館市八幡町3番2号にある神社で旧社格は郷社。
御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で例祭日は9月15日。
明徳元年(1390年、室町幕府3代将軍足利義満の時代)の創祀と伝えられており、慶長八年(1603年、徳川家康、征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開府した年)、本殿、拝殿が建立された記録があります。
江戸時代には松前藩の祈願所(きがんじょ)に定められました。
幕末の弘化四年(1847年)には箱館奉行が大鳥居を奉納。
また、文久三年(1863年)には社殿が改築され、現在まで旧拝殿として残されています。
この時に奉納された狛犬は五稜郭や弁天台場を手がけた石工(井上喜三郎)によるものです。
明治二年(1869年)五月十五日には境内も箱館戦争の戦場となり、旧拝殿には弾痕が残されています。
同十七日には旧幕府軍と新政府軍が会見して箱館戦争終結を迎え、その後亀田八幡宮神前にて降伏の誓約を行い、翌日五稜郭が降伏開城しました。
また、函館には2つの八幡宮があることにより、明治の始まりの頃には社格問題で函館八幡宮と争った時期もありました。
箱館の崇敬社としての位置争いで、函館八幡宮より古くて伝統のある亀田八幡宮と争いになりましたが、開拓使の裁断により氏子数も多く北海道総鎮守を名乗っていた函館八幡宮に軍配が上がりました。
中央分離帯のある大きな通り(八幡通り)から入ると大きな駐車場があり、社殿左側には立派な社務所があり中に入ると小窓から顔を出してもらえます。
初穂料は300円。
御朱印ありがとうございました。
由緒書きのある小さな紙も頂けます。
あと、書き手によっては龜の字が亀になったりします。
境内も広く、駐車スペースも沢山ありました。
大きな神社で、御朱印も立派でした。
子供の頃からずっとここです。
中古車のお祓いや 子供の百日のお祝いなど いつもここです 9月のお祭りや初詣もここです神様はいると思いますここで 光を 写したこともあります御札や御守りを初詣で買いますが 商魂逞しい所は高いのですが ここは いつも安定の安さです。
幕末の函館戦争の講和が行われたところです。
年始と、どんど焼きの時、そしてお祭りの時は、近隣の氏子で賑わいます。
駐車場は完備されています。
公共交通機関は函館バスの宮前町が最寄りです。
ご祭神:誉田別命境内外末社:函館薬祖神社(少彦名神),亀田稲荷神社(宇迦之魂神)ご由緒:明徳元年(1390年),越前国敦賀郡気比神宮より,八幡大神の御分霊を同国笠原右源太が当地に奉遷。
その後河野加賀守森幸が,右源太の孫左衛門をして本殿造営をしたが,松前藩祖信広との戦乱の為祭祀営繕不能となる。
蝦夷地大乱の時,松前藩4代慶広が南部大澗より渡来の智楽院(藤山家の祖先)に七飯村藤山頂上で必勝祈願をさせ大勝し,その時アイヌ勢が七重浜の柏樹草木を軍勢と見て降参したのは八幡宮の加護と,藩祖信広の大弓半弓矢を奉納、正月6日の法楽神事を仰付け,七重浜の柏樹林の伐採を禁じ,松前藩の祈願所に定めた。
慶長8年(1603年)10月,本殿拝殿を建立(現神輿殿・文久2年8月改築)。
毎年祭祀料玄米25俵,各村の役納を仰付け大祭毎に代参。
明治元年蝦夷統督清水谷侍従参拝。
戊辰戦争では,幕軍榎本武揚・大鳥圭介等が当宮神殿で降伏を誓約。
同2年12月侍従東久世通禧参拝。
同9年郷社。
同15年有栖川宮一品幟仁親王御真筆の奉納。
同41年神饌幣帛料供進神社に指定。
戊辰戦争終結150周年記念モバイルスタンプラリーで訪れました。
本殿の手前に設置スポットが有りました。
境内を見渡すと他にも函館樂祖神社と亀田稲荷大明神が有り狛犬やお狐様が奉納されていました。
鷄思之塔の上には石鷄が…
1390年(明徳元年)、越前国敦賀郡気比神宮より、八幡大神の御分霊を当地に奉遷したのが起源。
現在神輿殿として使用されている旧拝殿は1863年(文久3年)の改築で、複雑な形に組み合わせられた屋根が見どころです。
松前藩の祈願所に定められて信仰を集め、1847年(弘化4年)に建立された鳥居には、松前藩最後の箱館奉行、工藤茂五郎の名が刻まれています。
戊辰戦争終結時の1869年(明治2年)5月17日、旧幕府軍の榎本武揚、大鳥圭介らが、新政府軍の黒田清隆らと降伏の誓約を交わしました。
その協議を整えた場所が、こちらの旧拝殿であったとされています。
建物の羽目板には、直前の戦闘でついた弾痕が残されていて、激しさが窺い知れます。
2012年11月には、刀をモチーフにした「箱館戦争降伏式之地」記念碑が有志によって建立されました(題字は榎本武揚の曾孫・榎本隆充氏の揮毫)。
現在は、武芸や勝負事などの神様として地元の信仰を集め、初詣や9月15日の例祭日には、大勢の人でにぎわいます。
市のホームページより。
立派な神社ですよ⛩秋、銀杏がいっぱい🎶🤗
街中にある神社。
お祭りの出店の数が多いです。
函館市八幡町にある亀田八幡宮を訪問。
街の中にある古くて立派な神社。
ちょうどお祭りの準備をしていた。
函館戦争降伏式が行われた神殿があった。
末社:函館薬祖神社(はこだてやくそじんじゃ)、末社:亀田稲荷神社あり。
☆祭神・誉田別命(ほんだわけのみこと)
参拝者は私だけ(笑)。
凛とした空気で浄化されますね。
ご朱印いただけます。
昔、お祭りで行った事があり久しぶりに函館に帰省してお参りに来ました。
御朱印も頂きました。
平日に訪問したところ、人も少なく落ち着いて参拝することができました。
駐車場は八幡通り側(ガソリンスタンドの向かいあたり)から入ることができます。
名前 |
亀田八幡宮 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0138-41-5467 |
住所 |
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関連サイト |
http://hokkaidojinjacho.jp/%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE/ |
評価 |
4.1 |
いつもは初詣で行きますが、秋の神社も綺麗でした。