庄内にある、西郷隆盛ゆかりの神社です。
何故山形に西郷どんが!!行けば良く分かります。
とても良い場所でした。
検索すると南洲あったので西郷隆盛さんの関わりがあるのではと行った。
地元の方々西郷隆盛と共に戦ったとか?素朴な神社で二人の西郷隆盛と二人の像が際立っていた。
整備が行き届いている。
資料館の営業時間が不定な点はNoGood。
西郷隆盛を祀った神社です。
御朱印は対応していません。
神紋が島津紋になっています。
戊辰戦争での庄内藩への処分が寛大なものだったのは西郷の指導によるもので、その大徳に敬慕することとなる。
二人の座像は(右)西郷隆盛(南洲)と菅実秀(臥牛)。
九州に縁がある珍しい神社自分が福岡県出身ということで訪れました小さいですが遠く東北の地にこのような神社がある事を嬉しく感じます南洲翁遺訓が頂けます。
南州翁遺訓を無料で頂けます。
西郷先生の書道に感動しました。
神社自体は小さめですが、西郷さん好きなら楽しめます。
隣りの資料館の旦那さんがとても親切丁寧に説明してくれました。
無料で南洲翁遺訓を貰えるあたり、西郷さん、庄内藩らしい気がします。
酒田市にある南洲神社、NHK大河ドラマせこどんで、お馴染みの、西郷さんの歴史資料も素晴らしいです❗参拝をお勧めします。
良かったです😆🎵🎵
庄内にある、西郷隆盛ゆかりの神社です。
この日は催事を行っていて、御朱印をいただくことが出来ませんでした(u003e_u003c)あまり知られていない歴史を学べて良かったです(*^^*)
戊辰戦争後に、多くの庄内藩士が、鹿児島を訪問したことが伺えます。
現在も酒田市内で大変敬われていることが分かりました。
隣の会館で、西郷隆盛の書や縁の品を展示し説明もしてくれます。
興味のある方にはお勧めです。
貴重な史料を拝見させていただきました。
南洲翁について、このように具体的に文字にして残してくれている庄内の皆様に鹿児島の人間として感謝いたします。
庄内地方の文化の高さを改めて感じました。
神社好きにはおすすめできません。
狭い敷地で行った時にはお参りもできない状況でした。
ただ、歴史や時代背景を調べるとためになります。
西郷隆盛が座右の銘にしていた『敬天愛人』 を調べてみてください。
西郷隆盛像がある神社。
戊辰戦争の戦後処理で庄内藩に寛大な処置をとった西郷隆盛と庄内藩士に関する資料があります。
西郷隆盛好きな人にはよいです。
名前 |
南洲神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0234-31-2364 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
南洲・西郷隆盛は維新を断行した大人物であるのに、みずから筆をとって思想を陳述することはしなかった。
そのままだったならば、忘れ去られたかもしれない。
しかしそうはならなかった。
『南洲翁遺訓』が遺されたからだった。
もっとも正確にいえば『遺訓』は南洲自身が著わしたものではない。
庄内人が南洲から傾聴した言葉を記録したものだ。
庄内人がそうしたのはなぜか。
幕府側にいた庄内藩は新明治政府と戦闘をくりひろげたが、やがて恭順した。
そのときの庄内藩処分の権限を持っていたのは薩摩の黒田清隆。
黒田の前に頭を下げた庄内藩主は厳罰も覚悟していたが、処分はまことに寛大なものであったので、おどろいた。
その後、元・重職の菅実秀は黒田に面談したさい、あのときの指示はすべて南洲から出されていたと知らされ仰天した。
ここから庄内人は南洲に傾倒していく。
南洲のそばにあって、先生のお言葉は一言一句まですべて聞き漏らすものかという熱情をもって書き留めたのが『遺訓』だ。
もし『遺訓』がなければ、南洲は像がつかめず、埋もれてしまったかもしれない。
しかし庄内人が記録してくれたため、今日のわれわれは南洲の思想をまとめてとりだして検討することができる。
西郷はもちろん偉かったが、南洲にひかれ、後世のために思想を遺そうとした庄内人もまた立派だろう。
ここに南洲を祀ったのは昭和51年のこと。
それから40年ほどたったある日、南洲神社をおとずれた鹿児島銀行の頭取は、今もなお南洲を慕いつづける庄内人に感激し、神社の看板を奉納したという。