稜線に沿って12個の郭を見ながら緩やかに登れます。
成田山不動尊側から登ると、稜線に沿って12個の郭を見ながら緩やかに登れます。
科野の里歴史公園から将軍塚古墳に登っていく途中、こちらに来る脇道があったので立ち寄りました。
本郭に続く道が滑りやすくて登りづらかったです。
山城跡。
簡単に登れるので、天気の良い日は散歩にちょうど良い。
景色を眺めると、少し戦国時代を感じられる気がする。
荒砥城の状態までは求めないが、解説横に復元図とかあると個人的には嬉しい。
屋代城跡山城(458m/93m)城主:屋代氏屋代氏の主君は、(村上氏→武田氏→上杉氏→徳川氏)。
村上氏の一族(代官)であった屋代氏の詰城であった。
居館は城の内遺跡の位置にあったとされている。
永正~天文年間に築城されたといわれている。
天文22年( 1553年)、屋代正国(政国)は近隣の塩崎氏や雨宮氏などと共に真田幸隆(幸村の祖父)らの調略に応じて武田氏に臣従した。
このため村上氏の葛尾城は自落し、5度12年に渡る川中島の戦いの引き金となった。
その後、屋代氏は武田氏の命により永禄2年(1559年)に荒砥城に領地替えとなって移る。
これは弘治元年(1555年)の第2次川中島の戦いの後、越後上杉氏との前線が村上氏の旧領埴科郡から川中島まで北上したことや、永禄3年(1560年)に海津城が築城されている事、さらには長沼城が北信の本拠地として整備されるなど状況の変化によって屋代城の相対的な価値が下がり、この時期に廃城になったと思われる。
しかし屋代氏が荒砥に移った後に一時は雨宮氏が拠城としたとも言われている。
城のマーカーに到達するには2つの方法があります。
道に沿って神社でより多くの景色を提供する長い道は、安曇街道と信濃鉄道の交差点から始まり、成田山不動尊までの階段があります。
より短く、より直接的なルートは、八代駅の後ろにある墓地に上がり、トレイルが見えるまで大きな水槽を通り過ぎることです。
2番目のパスは急勾配で、丘の中腹に多くのスイッチバックがあるため、グリップの良い靴が必要です。
(原文)There are two ways to reach the castle marker. The long way, which offers more scenery by way of shrines along the path, starts where the Anzu-kaido and Shinano Railway intersect, with stairs leading up to and past Naritasanfudoson. The shorter, more direct route is to go up to the graveyard behind Yashiro Station and continue past the big water tank until you see the trail. The second path is steeper with a lot of switchbacks on the hillside, so have shoes with good grip.
屋代氏の山城跡、主郭の東側が土取りにより削られているが、西側の大半の郭などの遺構がよく残っている。
それほど高くないので、冬場は南側から郭の連なりを見ることができる。
高さ100mぐらいの山城でスグ登れる。
土砂採取で凹んでるとこある..(/o\)北側はお墓や神社だけど、南側は堀切からの竪堀、土塁、本曲輪を囲う石積、竪土塁など見所かなりある♪\(◎o◎)/遺構の説明板が抜かれて置いてあるケド整備途中なのかな?
以前に、たぶん地元の幼稚園児か保育園児が頂上(本郭)まで来ていたよ。
名前 |
屋代城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.3 |
なんて事のない場所です。