日曜日のランチ後に10数年来の飫肥城跡です。
5万1000石の決して有名でもない大名。
信長の野望なら隣が島津、大友なのでクリアを目指すならハードモードな大名。
伊東家ってそんなイメージでした。
たしかに勢力こそは大きくなりませんでしたが、その時々で上手に立ち回られた賢い一族なのではないかとお城を見て感じました。
信長の野望なら序盤で滅びる家が少なくとも明治の世までしっかり残ってたわけですからね。
あの小村寿太郎が飫肥の出身というのは意外でしたが(だいたい薩長出身と思ってる)、お城を見たあとならなんか賢い伊東家、その家臣 というイメージがついてて、納得できましたね。
そして、来訪者は概ね少なく、御殿なんか入ってから出るまで独占してました。
ぜひ、共通の入場券でいろんな施設をあわせて見学されることをおすすめします。
日曜日のランチ後に10数年来の飫肥城跡です。
基本無料ですが、施設類の入館は有料ですね。
なかなかに立派な城跡ですし、運動不足の身体には坂道と階段が心地良いです!駐車場は結構広めです。
飫肥天ぷらの販売店やうどん屋も併設されているようです。
途中でタイムトラベラーの武将(足軽?)も発見しました!(〃艸〃)ムフッ飫肥に来られたら、立寄られたら如何でしょうか?2024年6月。
飫肥と書いて、おび、と読むことも知らなかったが、行ってみるとかなり大きな石垣高さ4メートル、幅も100メートルぐらいはありそうで、空堀は、16メートルという巨大さだった。
島津藩にもともと帰属していた城だが、伊東家が長年の島津藩との争いの後、いったん飫肥城を手にする。
しかし、再び島津藩に奪われ、伊東家は秀吉の配下となり、島津藩の平定を機に、恩賞として城の帰属権をえた。
江戸時代にも、薩摩藩との領土紛争は続き、五代目のときに、徳川幕府の裁判により、薩摩藩と争っていた山間の土地を手に入れ、のちに山林資源を得ることで藩の財政が安定したという。
島津藩との抗争が江戸時代まで続き、最後は裁判で決着つけたところが面白い。
江戸幕府の薩摩警戒心による政治的決着だろうが。
駐車場無料で利用でき、警備員いました。
城下町散策や城内入場は無料ですが、施設内の入場料は必要となります。
城壁や庭には苔の生い茂っている箇所がありとても風情を感じました。
また城内には立派な飫肥杉があり、こちらも必見だと思いました。
武家屋敷跡など、当時の面影を感じることができ、散策にとても良い場所だと思いました。
名前 |
飫肥城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0987-25-4533 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
歴史資料館は300円でした。
展示品はそれほど多くありませんが、魅力的な展示品に感じました。
名城スタンプもあります。