恐らくこの農道もかつての飛行場の滑走路の一部だった...
旧日本海軍 野々切飛行場 第二滑走路跡 / / .
太平洋戦争中、旧日本海軍が建設した飛行場の一つです。
1000m級の滑走路2本がV字型に配置され、それぞれ第一・第二飛行場と呼称されました。
勇躍行ってみましたが、周囲には何も残っていません。
ただの農道があるだけでした。
道を間違えたかと思い携帯の位置情報と照らし合わせましたが、間違いありません。
飛行場は長い年月を経て完全に風化してしまったようです。
(マーキングミスの可能性?)ところで旧海軍の重爆撃機「一式陸攻」の離陸距離が約640mですから、ここの滑走路長1000mは結構なものです。
たいていの航空機の離発着はできたでしょう。
でも九州には陸海軍合わせてかなりの航空隊基地があるのに、どうしてこれを作ったんでしょうか?何の目的で?案内板でもあれば助けになったのですが、現地には何もありませんでした。
ですから、いまだにこの飛行場がよくわかりません。
ネットで4時間は調べていますが決着がつきません。
お手上げです。
まあ「物事に白黒を付けないと気の済まない人」は「行かない方がいい場所」なのでしょう、というオチでご勘弁を。
ではまた。
名前 |
旧日本海軍 野々切飛行場 第二滑走路跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0959-72-6111 |
住所 |
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評価 |
2.5 |
今は農道だけがあるのみだが、恐らくこの農道もかつての飛行場の滑走路の一部だったと考えられる。
戦後、土地が払い下げされた結果、飛行場としての原型を留めなくなっているが、不自然に真っ直ぐな農道に、往年の飛行場の面影があるのみだろう。