とにかく、噂の大楠がホンマにデカい!
名水巡りで。
名水を汲む前にご挨拶。
御神木がある神社は良い神社。
小高い森の中。
いつも小鳥達が賑やかに楽しんでます♪とても気持ちの良い空間でした。
主祭神:石姫皇女配祀神:石長姫命/熊野権現創建の詳細は不明ですが、日本三代実録という書物には貞観9年(867)2月に官社に列せられたという記述があり、延喜式神名帳では小社に列しています。
主祭神の石姫皇女は第28代・宣化天皇の皇女で、第29代・欽明天皇の皇后と伝えられています。
石姫皇女の陵は当社から南方にある敏達天皇陵に合葬されています。
拝:2020/07/07
卵焼きトッピングもできてうまくて安い⁉️
「業平の道/中河内歴史探訪の道」巻二十二の一の九 柏原市太平寺石神社(いわじんじゃ)歴史資料館 資料No.17『くすの木』【大阪府指定天然記念物】『智識寺東塔刹柱礎石』【大阪府指定文化財】この近くのパーキングに駐車してこの日の一日を楽しんだものですから、朝の7時の参拝時に一回、夕刻の御礼の参拝に一回と立ち寄りました。
朝は境内に足を止めるでもなく、ただ足早に中学生たちが登校のために横切ってゆく様を見、それでも夕方になれば学校帰りかまた塾帰りか近所の小学生たちが遊んでいる、実に優雅な「母なる」社という感じがして微笑ましかったことを憶えています。
神社の神奈備の一部を形成する大きな『くすの木』。
この御神木の樹齢800年、幹の周囲6メートル越えというのは本当に規格外で、見るものを圧倒します。
こちらの境内には『智識寺東塔刹柱礎石』という文化財も保存されておりますので、この礎石を皮切りに「智識寺、山下寺、大里寺、三宅寺、家原寺、 鳥坂寺の六寺めぐり」など引き続き楽しんでも良いかと思います。
「業平の道/中河内歴史探訪の道」巻二十二はここまでで、このあとはいよいよ大和川沿いを東に「竜田の道/万葉の道」巻四の二の一 『打越行者堂』から『竹原井頓宮』に向かいます。
「河内六寺」のひとつ智識寺がこのあたりにあったらしい。
以下、柏原市Webページより。
「知識と呼ばれる人々知識(智識)とは、仏教を篤く信仰し、寺や仏像を造るために私財や労働力を提供した人々のことです。
智識寺は、有力氏族が建てる氏寺とは異なり、おそらく大県郡を中心とする地元の知識によって、7世紀中ごろから後半あたりに建立されました。
知識には一般民衆から有力者までさまざまな階層の人々が含まれ、孝謙天皇の行幸の際に、その邸宅を宿舎(行宮)に提供した茨田宿禰弓束女(まんだのすくねゆつかめ)のような女性もその一人と考えられます。
」
柏原の四季を感じられる、癒しのスポット。
柏原市の安堂駅近くに鎮座している。
急な崖の上にお社はある。
その昔、暴れ川の付け替え前の大和川とどんな関係があるのだろうか?お参りをした時、最近この神社に不遜の行為をする人を諌める看板を見た。
悲しいことである。
石神社の付近には昔知識寺があったという。
知識寺とは民間の仏教信徒の財力、人力により建てられた寺を表す。
当時仏教が伝わり官寺はどんどん建てられていた。
一方民衆の為のお寺をと頑張っていたのが行基さんである。
時の天皇の聖武天皇がこの寺の大仏さんを見て、自分も大きく立派な大仏を造りたいと思うきっかけになったお寺として有名である。
行基さんは優婆塞を集めて各地にお寺を建てていた。
寺の建て方から資材の調達方法から、輸送、設計、人集め、技術養成と正にスーパーマン的なお坊さんだった。
後に大仏殿建立に尽力する。
樹齢800年のクスの木パワーもらえますよ。
とにかく、噂の大楠がホンマにデカい!
拝殿へは長い階段を登ります。
あまり整備されていない急階段なので気をつけて。
神社の鳥居の前には府天然記念物の樹齢800年のクスの木があります。
この辺りには『智識寺(知識寺)』と呼ばれた大きなお寺があったそうです。
境内に府有形文化財の智識寺東塔礎石が残されています。
また知識寺(智識寺)の跡地の石碑は、大阪府柏原市太平寺2丁目15のカタシモワインフードの前の道を隔てた側に建てられています。
大きな、くすの木があります。
名前 |
石神社(柏原市) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-971-2240 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai6shibu/kashiwara-city/06036iwajinja.html |
評価 |
4.1 |
樹齢800年の楠木が見事でした。
神社の前を南北に通じる細い道は業平道ということです。
業平さんは奈良県天理市から大阪府八尾市まで愛人に逢うため通ったそうですが、この楠木はその姿も目撃していたのでしょうね。