閑静な住宅街の中にあるので本当に静かです。
誉田御廟山古墳(応神天皇陵) / / .
日本で2番目に面積が大きい古墳。
大山古墳に次ぐ。
体積ではこちらのほうが大きい。
大変な土木工事を行うだけの力を持っていたのは確か。
1番 大山古墳(仁徳天皇陵) 百舌鳥古墳群2番 応神天皇陵 古市古墳群3番 履中天皇陵 百舌鳥古墳群4番 造山古墳 岡山この内登ったり歩けるのは4のみ。
天皇陵だけに中には入れない。
なので外から眺める他ない。
丘と森だけである。
それは仕方ないとして、もう少し日本の歴史を明らかにするために、せめて学術的な調査、考古学的な調査等は行うべきではないか、といつも思う。
6世紀頃までの日本の歴史が余りにわからないことが多すぎる。
応神天皇陵と伝わる巨大な前方後円墳。
全長420メートルで、堺にある大仙陵古墳に次ぐ日本第2の大きさです。
二重の環濠をめぐらした古墳だったようですが、外濠と外堤は古墳の西側にしかなく、現在は痕跡が残る程度になっています。
巨大な古墳なので、地表からは小山のようにしか見えず、全貌を把握するのは難しいです。
古墳の北側に拝所があります。
配所の手前はかなり広々とした広場になっており、大人数の団体客が訪れても対応できそうです。
もっとも、訪問時は他に拝観者は見かけませんでした。
分かりにくいですが、古墳の北側に無料🈚の駐車場🅿🚙が有りました。
僕の地元にも、古墳が沢山あり、古墳で遊んだり釣りをしたり、馴染みは有るのですが、ここの古墳は別格に大きく、見た瞬間『山やん‼️』って思うぐらいに大きかったです。
なので、ここの古墳に興味がある人は、ある程度、色んな古墳を見てから、ここに来られたほうが、より凄さが分かると思うのでオススメします😌ちなみに祀られている方は【神功皇后のお子様】みたいです😌南側には八幡宮があり駐車場があるのですが、こちらからは、古墳は全然見えませんでした😅2回目前回が曇っていたので、今回は晴れた日に再びやって来ました😌朝に訪れたと言う事もありますが、やっぱり晴れている方が☀清々しいですね😊
今日 ランチ後に散歩がてら初めて訪れました♪桜が満開でした。
古市古墳群でも代表的な応神天皇陵古墳にも行きました。
古市古墳群最大の前方後円墳で、墳丘長約425メートル、後円部直径250メートル、高さ35メートル、前方部幅300メートル、高さ36メートルを誇ります。
百舌鳥古墳群の仁徳陵古墳(大仙古墳)に次いで2番目の大きさです。
また、古墳を築造したときに使用した土の量は約143万立法メートルにものぼり、大仙古墳を上回っているそうです。
墳丘は三段に積み重ねられ、斜面は一面に石が 葺かれています。
テラスと呼ばれる平坦な部分には推定2万本に及ぶ円筒埴輪が立て並べられていたと考えられます。
5世紀前半頃の築造と考えられています。
とにかく情報量が多い古墳です。
まず規模ですが墳丘長425m、後円部直径250m、同高さ35m、前方部幅300m、同高さ36mの前方後円墳となっています。
全国2位ものサイズで、容積で見れば全国で一位を誇ります。
宮内庁によって応神天皇惠我藻伏岡陵(おうじんてんのうえがのもふしのおかのみささぎ)に治定されており、入る事ができません。
天皇陵はその墓に本当に宮内庁が言う天皇が眠っているのか怪しいものが多いですがここは記録が多く本当に応神陵だったという可能性もあります。
一周する事はできず、西側の二重目堀跡から少しは見渡す事が出来ます。
この古墳が他と違うのは、ここの木は自然の木という事。
他は植林なのに対しここは自然に生えた木で埋め尽くされているので、なんと準絶滅危惧種(大阪を含む8府県)のヒメボタルが生息しているそうです。
さて、天皇の話に入っていきましょう。
応神天皇(200〜310、享年111歳)は第15代天皇であり、仁徳天皇の父に当たります。
新羅へ遠征していた母親である神功皇后が、渡海の際、出産を遅らせるために石を腹に当てお腹を冷やした伝説があり、その時に妊っていた子が応神天皇です。
応神天皇が天皇だった期間は渡来人が多く来たと言われており、この時に「論語」や酒造などの技術も伝わったと言われています。
母、神功皇后の記録が神話的すぎるので応神が実在したかは怪しいという状況です。
拝所は駅からも離れ、大通りを逸れた場所、閑静な住宅街の中にあるので本当に静かです。
静かな穏やかな気持ちで拝所を訪れることができます。
世界文化遺産に登録された百舌・古市古墳群の構成施設です。
天皇陵なので宮内庁が管轄され、敷地内には入ることが出来ません。
拝礼所から参拝するだけです。
入場料は無料、駐車場も無料ですが広くありません。
でかいですね、仁徳天皇の、父、応神天皇の、古墳なんですね、古墳だけでなく回りも綺麗に整備され、気持ちが良かったです😃
15代天皇の応神天皇の陵墓とされてますが考古学歴史学的には、応神天皇自体の実在が疑う説があり、実際に応神天皇が実在したとしても、ここに埋葬されているのか?分かりません。
でも、古代の強大な権力者が埋葬されてのは確実なので、実際に見ると圧倒されます。
重機も無いのにどうやったのか?って。
パワースポットの感じがします。
千数百年前の天皇の御陵みささぎが周囲園庭とも佇まい美しく保全されて今もあることに感動しました10月31日土曜日昼前雲ひとつなく心地よい風が吹き晴れわたる空のもと参拝できました御陵に参拝するのは初めてです何だか参拝しつつ大きなチカラを感じとりました同行者も目を潤ませていました次代の仁徳天皇がこちら応神天皇の第四皇子ということは読んだ事がありましたが堺の仁徳天皇陵に次ぐ規模で従って日本でニ番目ということは初めて知りましたこの国の悠久のチカラを感じましたこれからの日本の未来に更には世界の未来にまで強く明るく大きな希望が持てました宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所の方も笑顔で迎えてくださり感謝していますこのあと傍にある誉田八幡宮に参りました。
誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)または誉田山古墳(こんだやまこふん)は、大阪府羽曳野市誉田にある古墳。
形状は前方後円墳。
古市古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治定されている。
また外濠と外堤は1978年(昭和53年)に国の史跡に指定されている。
名称は「応神天皇陵」とも呼ばれることがあり、大仙陵古墳(大阪府堺市)に次ぐ全国第2位の規模である巨大古墳。
被葬者:第15代・応神天皇実際の被葬者は明らかにされていませんが、第15代・応神天皇の陵に治定されています。
誉田御廟山古墳は大仙陵古墳(大阪府堺市)に次ぐ全国第2位の規模で、古市古墳群の中では最も大きい陵です。
円筒埴輪の型式や、一部採集されている須恵器の型式などから、5世紀初頭の築造と推定されています。
拝:2020/07/07
応神天皇を葬ったという恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)に同定されている前方後円墳。
ただし《日本書紀》には記載を欠く。
大阪府羽曳野市誉田(こんだ)の台地上にほぼ北面して築かれ,三段築成で,両側のくびれ部に造り出しを有する。
全長415m,後円部径267m,前方部幅330m,後円部高36m,前方部高35m,墳丘の体積約150万m3をはかる。
仁徳陵に次いで,日本第2の大型古墳である。
墳丘および中堤には,窖窯(あながま)で焼成された埴輪がめぐる。
応神天皇の没年を《日本書紀》に基づいて西暦400年前後とみた場合,埴輪の示す陵の築造年代は没年より四半世紀ほど新しい。
この点から,応神天皇の陵墓とみなすことには慎重論もある。
あえて誉田山古墳と別称するのは,この理由による。
陵の周辺には,アリ山(アリ山古墳),丸山,珠金塚,盾塚などの陪冢群があり,一部は発掘調査されている。
東の中堤に接する二ッ塚古墳は,応神陵築造以前にさかのぼる。
世界遺産なのに説明看板が解りにくく小さいです。
説明看板に空撮絵図で今現在周辺地図を表示して欲しい。
車椅子で近くまでいけるようにして下さい。
古市、藤井寺古墳群の説明案内ごほぼ無いに等しいです。
世界遺産登録した意味が無い。
拝所に行くと 神聖な空気が流れてる感じがして、その大きさを実感しました。
年配のご夫婦の、奥様が、写真を撮ってるご主人に、「納得されましたか?帰りましょうか?」と。
ずいぶん歩かれて、お疲れの様子で、でも、笑顔で、去っていかれました。
お気をつけて。
川沿いは、手入れがとても行き届いていて、気持ちよかったです。
東よりも西側を回った方が景観が良いし、見所も有ります。
東側は、テニスコートが見所。
そこには茶山テニスコート管理棟があり、トイレが有ります。
西回りはありません。
古市古墳群最大の古墳です。
落ち着いた良い御陵ではありますが、近くに駐車場はありません。
御陵拝所の階段付近にスズメバチが営巣しており、近くでの拝礼はかないませんでした。
みどりの日の佳き日に天気につられて自転車で訪れました。
新緑の清々しさと改元のお祝いムードの中思いがけず記帳所が設けられていて近隣の方々が思い思いに記帳をされてました。
宮内庁書陵部の方も大変丁寧に対応されていて私も人生初の記帳をさせていただきました。
一帯は世界遺産登録を目指す古市古墳群で自転車でぐるりと周りを散策しましたが近くの古墳を含め民家が間近に建っている様子に歴史の流れと圧倒的壮観さを感じました。
明治中期、ウィリアム-ガウランドはこの応神天皇陵を訪れ、西側から一枚の写真を撮っている。
写真には後円部墳丘上に二本の大樹が見えるが、その他は低い樹木、雑木林のようだ。
そして彼は「指定された皇陵墓中でも最大級の一つ」仁徳、履中と共に「驚くべき巨大な一群」と驚きを隠していない。
私が訪れた雨中の日、応神天皇陵は小雨に煙り鬱蒼とした森の中で静かに眠っているかのようだった。
全国で大仙陵古墳(大阪府堺市)に次ぐ第2位の規模。
築造時期は5世紀初頭。
体積(143万3960立方メートル)は日本最大。
夕暮れ時から夜にかけて古墳の周りを歩いてみると、応神天皇陵の森に吸い込まれそうで少し怖い。
でも、なんとなく厳かな気配に包まれて、日常の喧騒から開放され結構気分がいい。
やっぱり古墳は夕暮れの風景がBESTです。
名前 |
誉田御廟山古墳(応神天皇陵) |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
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仲哀天皇と神功皇后の子、応神天皇の陵。
仁徳天皇陵に次ぐ規模の陵で、平地目線でもその巨大さがわかります。
道路から拝所までのアプローチもとても長く、歩を進めながら厳かな気持ちになっていきます。