名前 |
吉川英治旧居跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-5608-1111 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
鳩の街商店街にある。
「くにまる東京歴史探訪」2006年3月8日(水)放送分 今日は、吉行淳之介の小説「原色の街」の舞台となった、隅田川にほど近く、戦後栄えた「鳩の街」をご紹介します。
戦後、遊郭が栄えたのは1945年から1958年の売春防止法施行までのおよそ13年間です。
この時期に人気を集めた場所に、江戸時代からの歴史を誇る吉原、新宿、板橋などのほか、墨田区の「鳩の街」があります。
もともとこの近くにあった「玉の井」遊郭の業者が、戦災で焼け出され、どこか近所で商売ができないか…と物色したところ、すぐ近所に焼け残った適当な一画が見つかりました。
そこで早速、住人たちと交渉して買収し、閑静な住宅街が、たちまちステキな大人の社交場に変わってしまったというわけです。
営業が始まったのが、戦争末期の1945年5月、そして3か月後の終戦までに、実に数十軒からなる遊郭が誕生したと言いますから、人間の欲望の力には驚かされるばかりです。
戦後は垢抜けない住宅街の外見に大幅に手が入れられ、カフェ風のモダンなお店が立ち並び、道路も整備されました。
入口には「鳩の街」と大きく書かれたアーチが取りつけられ、温かい女性の肌を求めてやってくる男達を迎えました。
「鳩の街」は、ほかの遊郭と違って、素人に毛が生えたような女性が多かったそうで、そこが遊び慣れた男達の心をくすぐったようです。
マスコミにも大きく取り上げられたこともあって、全盛期の昭和20年代後半には押すな押すなの大盛況になりました。
永井荷風、吉行淳之介といった文学者たちも足しげく通い、荷風はここを舞台に戯曲「春情鳩の街」を書き、淳之介は、小説「原色の街」を書きました。
そして「鳩の街」といえば、忘れてはならない方が、もう一人。
この「鳩の街」で生まれ育ったのが、あの木の実ナナさんです。
窓を開ければ目の前が赤線という環境で育ったナナさんは、こどもの頃、よく赤線のお姉さんに遊んでもらったそうで、夜になると「仕事だから」とお姉さんたちは帰ってしまう。
しばらくすると、街の白いタイルにネオン管の灯りが浮かび、さっきまでとは別人のようなかっこいいお姉さんが立っている。
そんな姿を見ることでナナさんは「女性のカッコよさ」に目覚めたのだそうです。
当時の「鳩の街」がどんな場所だったのか。
先程名前の出た永井荷風「春情鳩の街」を原作に1955年に作られた、久松静児監督、森繁久弥主演の「渡り鳥いつ帰る」という映画で、その一端を偲ぶことができますくにまる東京歴史探訪© Nippon Cultural Broadcasting Inc. All rights reserved.