手前の公園含めて手付かずの状態でした。
新十津川町開拓記念館 / / .
十津川村から移住して来た新十津川の歴史が良くわかります。
札沼線の特別展も必見です。
昨年の10月に行きました。
奈良県から、集団移住でこられた開拓者。
‼️⭐新十津川村⭐の開拓の資料館です。
🍀😌🍀玄関過ぎて、左側の部屋にはマンガによる、テレビによる説明が30分😃🎶、実にわかりやすいですね😃。
🍀😌🍀奈良県十津川村で明治22年8月に、台風により十津川村が壊滅状態の災害に対して、その時代でも明治政府による、手厚い、災害支援❓この時代でこれだけの、政策が、出来たこと。
🍀😌🍀その訳は、十津川村が新政府側につき、ご奉公されたためとか。
😃🎶これの説明は、お見のがしなく‼️船で、何日もかかり⛴️小樽港まで、小樽から🚂貨物列車に乗せていただいて、今の三笠まで、そこからは、空知監獄の囚人達に、荷物や、子供さん達を、背負って貰って、⛄11月の寒いなか、滝川までの悪路を、重い荷物を背おられて🚶徒歩で。
ひと冬を、滝川屯田兵の各家🏠で、何家族も、一緒に生活されて、春過ぎてからの現地。
くじ引きによる割り当てなど。
また、十津川村の方々は、もともと、林業を主体に仕事をされていたため、他の地域の人達よりも、大木を、切り倒す作業には、たけておられたそうです。
👏👏👏👏👏ただ、水害が、多く、せっかく開墾されても、また、一からやり直し、の繰り返しで、かなり苦労されて、今日の新十津川町の発展に、繋がっています。
😺激動の時代を、切り開かれた当時の開拓者のご苦労には感謝です。
追伸旭川の、旭川村の始まりか、明治23年9月20日ですから、それよりも、1年早いですね。
😃🎶5月過ぎには、見学に、行きたいと、思っています。
😺
新十津川町の歴史について詳しく展示されています。
訪れた日はたまたま横の農業発展の歴史館も開いており、係の方に詳しくお話を聞くことができました。
新十津川村は北海道の他の地区に比べて稲作が多いそうですが、開墾と併せて稲の品種改良を行ってきた結果なんだそうです。
ここは11月から4月まで休館ということで、手前の公園含めて手付かずの状態でした。
GW以降に再度寄ろうかと思います。
8月に寄ってみました。
思っていたよりはちゃんとした資料館でした。
人形がリアルです。
隣接の農業記念館も意外と面白いです。
とても良かったです。
職員の方の説明や展示品の充実さがよかったです。
説明してくれた遠藤さんの情熱が感じ伝わってきました。
とても良かった。
札沼戦の一部廃止に伴い乗りにきたついでに寄りました。
新十津川の役場から徒歩15分くらい。
新十津川の歴史がわかります。
奈良県十津川村関係者は必ず行くべき場所です。
新十津川町の歴史について詳しく展示されています。
訪れた日はたまたま横の農業発展の歴史館も開いており、係の方に詳しくお話を聞くことができました。
北海道の他の地区に比べて稲作が多いそうですが、開墾と併せて稲の品種改良を行ってきた結果なんだそうです。
このような開拓記念館の中でも綺麗に展示保存されている類いだと思います。
新十津川の開拓の歴史が分かる地域博物館です。
当時の様子のジオラマや農機具、生活用品、書類などが展示されています。
レンガの素敵な建物ですが、休日にもかかわらず利用者がいなく、電気をスタッフに点けてもらうというのは寂しいです。
思ったより充実感が有りました⁉️
松浦武四郎パネル展開催中でした。
新十津川町の歴史がわかる場所です。
建物は立派だけど、展示内容は貧弱かな。
無料になれば星三つでも良いですが。
徳富川で「とっぷがわ」はまだわかるが、総富地川で「そっちがわ」というのは、ちょっと読めない。
十津川からの移住がドラマチックなため、どうもそちらに偏りがちだが、275号線沿いには金毘羅、金平神社が多数あることから香川県その周辺からの移住者も多いような気がする。
この開拓記念館では、トップ川のアイヌが集団移住させられたことや、分与された土地をやすやすと手放していく様について記録を展示していて、良い。
冒頭でも触れたが地名解説も少しいただけると嬉しい。
北海道の中でも、特殊な歴史を持つ十津川移民の歴史がよく分かる博物館です。
酒粕ラーメン(塩あじ)とっても美味しかったです又行きたい!
名前 |
新十津川町開拓記念館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0125-76-2622 |
住所 |
|
営業時間 |
[水木土日] 10:00~16:00 [金] 10:00~13:00 [月火] 定休日 |
関連サイト |
https://www.town.shintotsukawa.lg.jp/kanko/detail/00000355.html |
評価 |
3.7 |
新十津川町の歴史について展示されています。
隣には農業資料館。