山の中の隠れ家、一角の魅力。
上奥平の石幢
山の中、道路から一つ上がった一角にありました。
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西側散策で新しい発見!
笠取峠の松並木 西口
機会みてぜひ散策してみたいですね(゜∀゜)
都市高速の下が街道になっているという独特の景色。
八幡東区 長崎街道
都市高速の下が街道になっているという独特の景色。
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石碑の語りかけ、心を結ぶ。
柳剛流祖岡田先生之碑
石碑と説明文が書かれた看板があります。
心安らぐお墓参りのひととき。
金剛院宝篋印塔
お墓参りに行きました。
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本多康重の息女、心に響く。
貞松院殿御墓所
本多康重の息女。
梅は寒さのせいか満開は先でした。
郡山城 馬場先門跡
梅は寒さのせいか満開は先でした。
浄光寺の青石塔婆巡り。
浄光寺の板石塔婆(三基)
浄光寺の境内に年代の違う三基の青石塔婆が立っています。
群馬の重要文化財を体感!
笠塔婆三基及び板碑一基
群馬県指定重要文化財。
文字通り蓬左文庫の旧書庫です。
旧書庫
文字通り蓬左文庫の旧書庫です。
昭和11年からの歴史が息づく。
旧釜口水門(跡)
昭和11年から63年まで諏訪湖の治水利水に貢献した。
青面金剛庚申塔と共に、五輪塔の魅力を発見!
庚申塔(長浜)
半跏思惟像、分割された小さな五輪塔があります。
加須市騎西の青石塔婆、圧倒的存在感。
仁治三年銘 阿弥陀種子板碑
加須市騎西の善能寺境内に立っている高さ約2.5mの大型の青石塔婆です。
ちょっと見た目では解りにくい場所にあります。
住吉神社前石棺仏
ちょっと見た目では解りにくい場所にあります。
民家の路地の中にひっそりとありました。
崇徳院御遊所池
民家の路地の中にひっそりとありました。
鎌倉時代の歴史を感じる、旧板石塔婆。
建治二年の板石塔婆
板石塔婆の中でもかなり旧いものです。
野田市の薬師堂、静寂の中に佇む。
天文三年 二十一仏板碑
小さいながら立派なお堂があります。
岡谷市庁舎の歴史と共に。
尾澤福太郎翁寿像
発展に尽くした尾澤福太郎は、1936(昭和11)年岡谷市発足のおり私財を投じこの市庁舎を寄付したそれを頌し岡谷市出身の彫刻家、武井直也による...
1588年のマキの木、歴史の息吹。
積雲院の槙
積雲院再建の際に庭木として植えたマキの木とのこと。
千駄木遺跡を過ぎた先に。
恩賀のぐみ樹
千駄木遺跡を左に見て、そのまま直進。
松並木から見える川面が美しい。
史蹟油島千本松締切堤
松並木から見える川面が美しい。
マンホール下諏訪、発見の喜び!
番屋跡
ここでマンホール下諏訪発見。
徳川家康の六男、歴史を感じる。
松平忠輝廟
徳川家康の六男。
多彩な石碑と石仏が魅了。
石碑・石仏群
多くの石碑と石仏がありました。
冬のケヤキが魅せる美しさ。
吉江家のケヤキ
冬のケヤキもまたいいものです。
火燈山登山口で新たな冒険を!
大内峠
火燈山登山口。
1928年に付近で水死した母子を供養したものです。
千人供養塔
1928年に付近で水死した母子を供養したものです。
明治天皇行在所跡で歴史巡幸。
明治天皇幸手行在所跡
行先が2か所以上になることを「巡幸」といいます。
不動坂の北にある坂道です。
北不動坂
不動坂の北にある坂道です。
聖徳皇太碑の歴史に触れる!
馬頭観世音・聖徳皇太子碑・改修の記
聖徳皇太碑には「文化十一」と刻まれていました。
解説板で知る、深い魅力!
箱式石棺(東台古墳群第13号墳)
解説板より。
五郎兵衛の里で味わう特別なひととき!
『五郎兵衛の里』の碑
この周辺一帯は、まさに五郎兵衛の里ですね!
小川町の青石塔婆に出会おう。
大梅寺二連板石塔婆
小川町大梅寺の本堂に向かって左手にある双式(二連式)の青石塔婆です。
綺麗に整備されているのがお判りであろう。
津袋大塚古墳
綺麗に整備されているのがお判りであろう。
洛中洛外図屏風の美、人生の儚さを感じて。
岩佐又兵衛の墓跡
【2025年4月27日夕方】洛中洛外図屏風で有名な人という認識。
墓の無い人生は儚い。
中を観た事があると言ってましたので羨ましい限り。
川中家住宅(登録文化財)
中を観た事があると言ってましたので羨ましい限り。
大きな石碑を見逃すな!
五郎兵衛用水水難事故の石碑
五郎兵衛用水の片倉隧道の実地体験のために坑内に列をつくり入ったが、流水と窒息により遭難し、救助の効なく8名の若い方が亡くなる。
かなり大きな石碑です。
入山辺公民館で散歩地図ゲット!
宮原の道祖神・石仏群
入山辺公民館で、散歩の地図をもらい行ってみました!
境界標の斜面地で特別な体験を。
海軍境界標石
境界標らしく斜面地にあります。
京極朗徹公ゆかりの砲台。
有明浜砲台跡
丸亀藩主 京極朗徹(きょうごく あきゆき)公により作られたという砲台があったとされる場所。
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