徳富兄弟の歴史と共に。
徳富記念園の特徴
ジャーナリスト徳富蘇峰の住居が展示されている歴史的な場所です。
蘆花の著作を含む多彩な資料が展示され、文化に触れられます。
庭のアメリカキササゲの木が、5月には美しい白い花を咲かせます。
教科書でさらっと習っただけだったのでほぼゼロの知識で訪問しました。しかし、ナビゲートしていただき、お話をきいていく中でどんどん引き込まれ、帰る頃には徳冨兄弟が教科書の人たちから身近な存在になりました!他の方も書かれてますが、館長さんのお話がとっても分かりやすく、面白くて時間が経つのがあっという間です。30分や1時間とかじゃ全然時間が足りないーってなります(*^^*)庭の木々の四季の変化も楽しみ方の1つのようなのでまた記念園訪れたいと思います^^※翌日、生誕地の辻堂エリアにも早速いってきました^^潮井神社にある、蘇峰先生が植樹されたイチョウの木も見ることができましたありがとうございます。
平日午後に訪れました。展示資料だけでは知ることのできない、面白い蘇峰・蘆花のお話や時代背景などをスタッフの方からたくさん聞くことができ、とても有意義で楽しい時間でした。駐車場は記念館すぐ横に数台停めることができました。今度はカタルパの花の咲く頃にまた訪れてみたいと思いました、
本日、四時過ぎの閉館前に訪れました。閉館少し前にも関わらず、館長さんが、温かく迎えてくださり、最終的に長時間に渡って記念園と旧居の隅々まで、丁寧に明快にご説明してくださいました。本当に感謝しております。ご説明は押し付けがましいところが全くなく、エピソードのひとつひとつに熊本県と徳富家への知識と愛が溢れていて、感心することしきりでした。とても気持ちの良いひと時でした。おかげさまで、徳富兄弟のことをもっと知りたくなりました。本日は本当に有難うございました。
徳富兄弟の居宅兼大江義塾。静謐な空間でした。
令和6年04/01から、入るのに有料なった模様。
徳富蘇峰は熊本洋学校・京都の同志社(中退)で学び、1882年(明治15年)に帰郷し、此の家を大江義塾として開校した。ジャーナリストの徳富蘇峰(猪一郎)は1863年(文久三年)・文豪の弟蘆花(健次郎)は5年後の1868年(明治元年)に水俣で生まれている。蘇峰・蘆花兄弟の父一敬と其の師で幕末から維新にかけて活躍した思想家の横井小楠の妻は姉妹で、兄弟は小楠の甥にあたる。小楠は1869年(明治二年)に亡くなったが、弟子だった父からその思想性を受継ぐ。父は水俣の惣庄屋だったが、1870年(明治三年)に熊本藩庁勤務の為当地に引っ越してきた。蘇峰から影響を受けた蘆花だが、次第に国家主義的になった兄と違い、終生土を愛し、リベラル的に生きて溝ができた様です。60歳で亡くなった時兄の蘇峰は「弟は天才でしたが弱虫で泣き虫でした。弟の成功は私の影響でなく自身の力によるものです」…と。因みに蘇峰は95歳で天寿を全うしている。蘇峰は徳富・蘆花は徳冨と「トミ」の表現に違いがある。
子供の頃に訪れたことのある場所ですが、大人になってから行ってみると、なかなか面白かったです。徳富邸が大切に保存されています。館長さんと職員さんも、親切で丁寧な方たちでした。大きな木があって、ホッと落ち着く空間です。文学好きな方はぜひ。思いがけずトルストイの写真も見ることができました。
3月に娘との卒業旅行で行きました。娘が文豪好きでちょうど文アルとコラボしていて楽しみに行きました。熊本城後に行き小さいイメージもあり30分もあれば見れるかな?と思ったら大間違い!館長さん達がかなり親切で隅々まで案内していただきました。何より館長さんの徳富『愛』が凄く、丁寧かつ楽しく説明でついつい入り話込み気がつけば1時間半…閉館を過ぎていましたがお庭も説明してくださいました。名前すら知らなかった私でしたがとても素晴らしいお時間をいただきました。
熊本地震から五年、やっと復興が始まリましたよ!熊本文学シリーズの筆頭だよ!徳富蘇峰、徳富蘆花、日本の近代化を、ペンで開いた兄弟の功績を改めて観たいですよ!早く完成してほしいね!
| 名前 |
徳富記念園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
096-362-0919 |
| 営業時間 |
[日火水木金土] 9:30~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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専用駐車場あります。知る人ぞ知る、徳富蘇峰(ジャーナリスト) / 徳富蘆花(小説家)兄弟の記念館とお屋敷です。御兄弟一緒に展示されるのは、故郷熊本の特権です。その他地域では別々に展示紹介されています。人が少なければ学芸員さんが解説を交えて屋敷をご案内してくださいます。私は運良く独り占めいたしました。徳富蘇峰は大正8年に執筆した「近世日本国民史」が有名で、たった1人で日本人の歴史観を変えたとされています。満94歳で亡くなられたとのこと。徳富蘆花は「不如帰(ほととぎす)」をきっかけに多くの作品を世に生み出されました。また、少年期にはキリスト教を受洗され、人道主義や平和主義の影響を受けたとされます。ご病気の関係で、満58歳にて亡くなられました。なお、徳富蘆花さんは農の営みを大変好まれ「いずれは半農生活をしたい」と言ったご意向を示されました。今では「半農半X」という形で、農業振興の1つの関わりとして存在しています。敷地に植えられた巨木「カタルパ」は外来種のため、国内では厳密に管理されています。当施設の樹が1世とされ、それから広島県、長崎県、福岡県へと渡って受け渡された可能性があるとのこと。また、当時の「神風連の変」を当時10にも満たない蘆花さんが目撃した1室も見所の1つです。