薬剤師の対応は親切丁寧でした。
薬剤師の対応は親切丁寧でした。
ただ患者と薬剤師のお話が長いです。
盗み聞きしたわけではないですが、薬剤師に聞くことではなく担当医師に聞くべきですね。
調剤薬局でここまで長話しているのは初めて見ました笑だから他の方の待ち時間が長いんだと思います。
私もかなり待ちました。
空いているのに待ち時間が長い。
次回から変えようか検討中。
他の薬局と区別がつかない。
皆さんは何を基準に店を選んでいるのでしょう?
接客対応が親切で良いですね!
名前 |
日本調剤 北里薬局 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-701-0850 |
住所 |
〒252-0328 神奈川県相模原市南区麻溝台1丁目2−23 |
関連サイト | |
評価 |
2.9 |
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私は直接は話しませんでしたが、10年ほど前、ゴールデン街で少し離れた席にいた人物(当時、私大の臨床准教授)が、隣席の人との酒の場の文学談義に、敗北感(推測)を得て、「人が死ぬところを見たことがあるか!?言ってみろ!」と突然言い出したことがあります。
問答無用の気焔に内心笑いを堪えた記憶があります。
一般的に言えば、適切な治療によって助かる命を救ってくれる医師の存在は間違いなく尊い存在です。
そして医師は、他者の命の遣り取りに主体的に常時携わることで、人間として研ぎ澄まされる可能性があります。
また、看護師は、病める人々に対して作法としての優しさを以て接するため、病に苦しむ私たちに大いに貢献して下さる予感があります。
では薬剤師はどうでしょうか。
約30年前になりますが、高校の同窓会の席でのことです。
「薬剤師の仕事は誰でもできる」と、4浪と寄付金と留年の末に私立医科大学を卒業して医師になった同級生Aが、地方の国立B大学の薬学部を卒業してから病院薬剤師をしていたCに対して気炎を吐いておりました。
Aの余りに無神経ぶりに同業者として恥ずかしく思いましたが、CがAに対して、「A君には薬剤師ってどんな仕事にうつるの?」と問いかけると、Aは「医者の命令に従って薬を調合する人」と答えます。
Cが、「国立のB大学ってどんな印象?」とCに問うと、「旧帝だし、偏差値高い大学」と答えます。
Cが「知ってると思うけど僕、B大学出てるんだ。
それに、A君に高校の頃、よく試験前に、数学とか物理とか教えてあげたよね?A君とは高校時代、駿台模試の偏差値が15くらい差があったよね?」と言うと、Aは、「げ、こいつプライド高けぇ!」と言っておりました。
これは一般的な社会的評価と18歳段階での学力の逆転現象を印象的に表した事例です。
とはいえ、私自身が患者になってみると、薬剤師の通り一遍の問答に遭遇した場合はそれを省いて速やかに薬を渡して家に帰らせて欲しいと思いましたし、衛生的で無いから代金を支払う狭いコーナーで薬を一種類づつ広げて説明しないで欲しいと思ったこともありました。
薬剤師の存在価値を認識したのは、薬局事務の方が仮に名門女子大学ご出身の美しい才媛であったとしても、医療系科学の基礎教育を受けていない人間に処方箋を渡したくないと痛切に感じた時のことです。
賞味期限切れの人間を見る眼差しで見るあり様を、薬局事務の美しい才媛に感じ取ったとき、体調の悪化を呪ったものです。
おまけに、担当医は患者の治癒に関して定見と拘りの無い若い女医でした。
プライドを傷つけると何をされるかわかりません。
こんなとき、物質レベルの視点で広範な患者さんたちの疾患を網羅する(見慣れている)薬剤師の、中立的でしかも穏やかなあり方に、大変救われたのです。
18歳段階で、平均的な私立医学部入学者群と平均的な私立薬学部入学者群の間に、学業の基礎的能力差は無いと一定割合の有識者の間では考えられています。
両群の18歳段階での決定的な相違は、第一に、私立医学部入学者群に強く見られる、結果を得ることへの強い執着心と、他者評価への過敏さ(傾向)が挙げられます。
このエトスは、10代のある時期から芽生え、受験期において内面化され、反復強化されていると考えられます。
両群の第二の相違は、18歳の大学受験の段階の決断に依存する、私立薬学部入学者群の私立医学部入学者群に対する自発的な負い目が(可能性として)挙げられます。
つまり、私立薬学部では理科の受験科目が化学1教科だけに制限され、数学の試験範囲は高校2年生までの履修範囲に制限される。
他方、私立医学部では理科の受験科目は物理と化学が基本的には課され、数学の試験範囲には高校3年生の範囲(微分積分)も含まれます。
第一の点は、環境因子も関わる個人の性質に関するものであり、確かに両群の性質上の大きな差異と言えるかもしれません。
(患者を治癒させることに対する執着心へと昇華するならば、とても有り難い...!)第二の点は、私立薬学部における試験範囲の限定が人為的なものであること、共通の学習範囲での基礎学力の近似性と、18歳段階での試験項目として欠落した事柄を鑑みると、負い目として自己評価として内面化するには早急に過ぎ、勿体ないとも考えられます。
18歳の受験段階で、勉強範囲を狭く絞った決断に依存する負い目の(可能性について)内実を教科内容から考えてみます。
大学受験で問われる数学においては、高校3年生の数学(基本的な超越関数を含む微積分)が、高校2年生までの数学に比べて若干の思考の増加と計算量の増加を伴うことは挙げられます。
しかし40年前と異なり、高校課程の必要十分な学習を完遂するための教材は有名学参として存在し、衆目の知るところとなっています。
過去の入試問題も開示されて研究し尽くされているため、結局のところ、(時間制限ありの条件下で解けるまで)そこそこの訓練をやるかやらないかの決断の有無に、両群の数学の学習範囲と入試学力の相違は依存すると考えられます。
とはいえ、少年少女時代の決断の差異は、当事者にとって大きい差異なのかもしれません。
大学受験で問われる物理は、本質的には問われることは(ほぼ)力学の問題に帰着され、しかも微積分を用いない強い制約下で出題されます。
つまり高校課程での物理の好成績は、古典物理学の体系的理解への適性を測るための必要条件であって十分条件ではありません。
受験での物理の未修という事実は、(用いる数学は限定的な高校課程の)練習問題の訓練経験の多寡(あるいは有無)についての負い目として言い換えることができます。
次に大学での学習ですが、多くの私立医学部入学者の場合、入学後の6年間の学習において、統計学、薬理学、生理学、生化学(他)それぞれの教科の限定的項目で数式が扱われる場面を、教科書や講義のスライドで目にするだけで、実際に手を動かして計算する機会は殆ど失われている実状があります。
多くの私立薬学部入学者の場合も、上述の教科内容はだいぶ被り、状況は同様です。
医学部には存在せず薬学部だけに存在する主教科として、(領域の土台となる)科目としての量子力学、熱力学の学習が挙げられますが、数式が扱われる場面を、教科書や講義のスライドで目にする機会があっても、実際に手を動かして計算する機会は殆ど無い可能性があります。
これは実は大変勿体ないと思われます。
上述の教科において概念を内面化するステップを乗り超えることは、私立医学部でのメインの教育課程では(医師国家試験に出ないので)基本的に問われません(教養科目として1年次に一瞬は概要は触れます)。
一方、私立薬学部入学者が、これらの教科を習得することは、私立医学部出身者には無い(多くの場合)、疾病への物理化学的視座と疾病理解を与えるはずのものです。
つまり、機械論的視座、病態を物質レベルで把握する専門性です。
熱力学では演繹的に自明な事柄を、事実の連鎖として記憶する医師も多々見られる事実があります。
上述の教科で用いられる数学を習得するためには、先ずは高校3年生の数学を習得することでそれなりに十分なのです。
30年続く社会の停滞の末に、若年理系層は、猫も杓子も医師を志す時代になりました。
昔もそういう傾向はありましたが、私大医学部入学を可能とする経済力の圧倒的格差で、体を預けたく無い人が医師になる姿が不可視だった面もあります。
医師の資質が(だいぶ)可視化された現在の趨勢では、医師とは異なる視点で疾病を眺める素養があり、私たちの闘病を支援してくれる薬剤師の存在は、医療の防波堤と言えるでしょう。