思ったより立派な神社で驚きました。
地元の神社なので何も考えず参拝していましたが、何気なく神社の歴史を調べて、源頼朝が来たとか、疫病退散させた牛の石像があるとか、柱に見ざる聞かざる言わざるが居るとか…改めて参拝に行かせて頂きました。
地元の歴史を調べるのも面白いですね。
思ったより立派な神社で驚きました。
住宅街にある神社です。
貴船神社(きぶねじんじゃ)は寛仁・長元 (1017~1037)の頃、城所藤五郎正揚(きどころとうごろうまさやす)の祖先である藤原北家(ふじわらほっけ)・糟屋氏(かすやし / かすやうじ)、左大臣冬嗣( さだいじんふゆつぐ)の子・糟屋良方(かすやよしかた)の孫、筑後守盛久の四男盛直が糟屋荘内城所に分岐し、ここに館を築いて城所氏と称した。
当時米作農民の厚い信仰により城所氏の屋敷内に鎮守として祀ったのである。
神名の意義は谷の龍神、水源の神で往古此の地一帯は沼地で、その水源が当神社であった。
御祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)、闇龗神(くらおかみのかみ)4月29日t例大祭(れいたいさい)…神社庁抜粋…◆参考◆…藤原北家良方流の糟屋氏…平安時代末期に相模国大住郡糟屋荘(現神奈川県伊勢原市一帯)を本拠とした豪族…系図…閑院左大臣冬嗣─良方(大蔵大輔、相州之守護として下向)─常興、弟元方(父良方在国の時出生、糟屋庄において成長、すなわち粕屋太郎と号し、初めて武家に下る)─盛季(糟屋庄司)、その弟久季(糟屋次郎)─家季(糟屋十郎兵衛尉、名を家忠と改む)─義忠(関本大夫)─光綱(糟屋荘司)─盛久(筑後守)─久綱(糟屋荘司)─有季(糟屋藤兵衛尉、美男なり、比企判官能員婿なり。
能員一乱の時、切腹)」---------------------------境内の西側に「城所三面大荒神社」、「秋葉神社」「御嶽神社」が祀ってある。
「三面大荒神社」は元々常蘇寺(廃寺)観音堂の境内にあったが、昭和33年に常蘇寺跡から移された。
「吾妻鏡」によると、建久三年(1192)源頼朝は相模國の社寺27箇所に妻政子の安産祈祷を命じた。
当社はその27社寺の一つである。
しかし生まれた子の夜泣きが止まないので三面荒神に祈願したところたちまちに泣き止んだという霊験新たかな「泣き荒神」として知れわたりました。
荒神様(こうじんさま)荒神様は民家の代表的な屋内神で、竈(かまど)の神様として良く祀られ、身近な存在です。
荒神と名の付く神様は何種類かありますが、三宝荒神(さんぼうこうじん)が基本となります。
修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が感得したと伝えられます。
激しく祟たたりやすい性格を持つところから、荒神と呼ばれました。
そして不浄をきらうことから、火の神に当てられ、竈の神様とされました。
竈の神様となったのは、陰陽道や神仏習合説が影響しているようです。
仏教的には、仏法僧の三宝を守る神様であり、三宝を大切にする人や、法華の修行者を守護すると言われます。
荒神様は主に修験道や日蓮宗系統でよく祀られます。
祭日は28日です。
城所三面大荒神社の手前には、「二十三夜勢至大菩薩塔」、「牛の像」が置かれている。
---------------------------お姿は、如来荒神(にょらいこうじん)、麁乱荒神(そらんこうじん)、忿怒荒神(ふんぬこうじん)の三つで三宝荒神(さんぼうこうじん)となります。
三面三眼六臂(さんめんさんがんろっぴ)の神様です。
お顔が三つ、ひとつのお顔に眼が三つ、手は6本と言うことです。
仏様や神様の手を数えるときは臂(ひ)と数えます。
荒神様は忿怒の相が一般的ですが、一面六臂で優しいお顔をした如来荒神や、一面四臂で甲冑(かっちゅう)と天衣(てんい・てんえ)を身に付けた神将形(しんしょうぎょう)の小島荒神(こじまこうじん)もあります。
また、六面八臂、八面八臂、のお姿などもあります。
名前 |
貴船神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0463-55-0670 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
通っただけ。